January 27, 2005

NIC-インタビュー 西澤佑香さん ネバダ州立大学リノ校

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西澤佑香さん 
University of Nevada-Reno
2005年6月 ネバダ州立大学リノ校経営学部進学
熊本学園大学付属高校出身 NIC第17期生


思っていることは実現する  〜悔いのない人生を送るために


◆高校受験で変わった進路

高校時代に1年間、オーストラリアに留学していたという西澤さんは英会話には苦労しない。もともと日本の大学に進学する気はなかったという。
「高校受験で公立の志望校に落ちたんです。それでそのとき『もう海外に行こう』と決めたんですよ。父が仕事の関係で頻繁にアメリカ出張をしていて、いつも『英語には力を入れておいたほうがいい』と言われていたこともあって…。」

「高校は交換留学も盛んで、アメリカに姉妹校もあったんです。本当は私もそこに行こうと思っていたんですけど、寮がなくなってしまって行けなくなったんです。だから英語科の先生から留学プログラムを紹介してもらい、高2の1月から10ヶ月間、オーストラリアの高校に行きました。」

そこでホームシックにかかり、英語力にも不安を感じた西澤さんは、アメリカの大学に進学するための準備期間が必要だと感じ、インターネットで検索。NICを見つけた。
「ちょうど日本でも父がNICを見つけていたんです。電話で話していて『同じだ!』って。」

◆遊びと勉強の両方が充実しているNIC

ホストファミリーから日本のことについて色々聞かれても上手く答えられなかった西澤さんは、日本のことをもっと知るためにも東京での1年間は大事だという。

「政治とか文化とか、知らないことが多すぎて…。それにやっぱり日本の真ん中の東京で生活してみることって大事ですよね。テレビだと危険なイメージしかなかったですけど、実際はそうでもないこともわかるし…。」

大学生の兄と一緒に暮らしている西澤さんは、夏前に一度身体を壊してしまった。
「食生活が不規則だったんです。コンビニばかりで…。だから最近はちゃんと自炊をするようにしています。スーパーに行って、野菜を買ったりして。」
NICでも2学期目から一般教養課程を取っているため、時間割は不規則。でも、こちらも上手くバランスを取っている。

「空いている時間は図書館で勉強してます。あとチューター(学内家庭教師)のアルバイトもしてるんですよ。エッセイを見てあげたり、英会話の相手になったり、宿題をチェックしてあげたりして、楽しみながらやっています。自分も勉強になるし、友達にもなれるし、いいアルバイトですね。」

Humanities(美術史)のクラスでは美術館などに行ってレポートを書くことが多い。
「各時代のアートを観て、その時代を知るという趣旨の授業なんですけど、面白いんですよ。それまでアートなんて、ほとんど興味がなかったんですけど、それぞれの作品から色んなことがわかって…。」

でも一番好きなクラスはコンピューター。
「先生が面白いんです。いつも一人でハイテンションで。笑い声の絶えないクラスですね。」
クラスごとのレポート提出時期が重なると大変だけど、充実した毎日だという。それは日々成長している実感があるから。
「高校のときは遊びと勉強のバランスが取れていなかったというか…。やっぱり両方が充実していると、楽しいと思えるんです。」

◆目指すのはホテル経営者

そんな西澤さんが目指すのはホテルの経営者。小さい頃からよく家族旅行に行き、一番の楽しみが、どんな部屋に泊まるかだったという。
「あとホームステイ中に、ホスピタリティーの授業でホテルのレストランの裏側の見学に行ったこともあるんです。どういう仕組みでホテルが成り立っているのかとか、知れば知るほど益々興味が湧いてきて…。」
最近、ウェディング・プランナーという仕事も面白そうだと感じている。
「私、結婚式に行くのが好きなんです。と言っても、そんなに何度も行ったことないですけど(笑)。思い出ビデオを上映したり、面白いですよね。あんな仕事もしてみたいです。」
いずれにしても、自分の好きなことを仕事にしたいという西澤さんは、いつでも専攻を変えられるアメリカの大学の仕組みも魅力的らしい。

◆思っていることは実現する

半年後の渡米が待ち遠しい西澤さんは、いま自分がそんな状況にいることを少し不思議に感じている。

「私は幼稚園の頃からアメリカ人になりたいと思ってたんです。なれるわけはないんですけど、なんと言うか憧れていたんですね。父からいろいろ話を聞いていたり、熊本で開催されるカントリーミュージックのコンサートに毎年行き、アメリカ人と触れていたこともあったと思うんですけど…。でも小学校のときから塾通いで、アメリカの大学に行くなんていうことは考えてもいなかった。それが高校受験の失敗がきっかけで、今の道に至っている…。最近よく考えるんです。思っていることは実現するのかなあって。」

世の中には、いつのまにか「常識」が出来上がっている、日本に生まれたから日本の大学に行く…。そのことを変に思う人はいない。でも、それは「常識」でも何でもない。自らの心が素直に感じる「思い」を自然にそのまま実現させること。そうすれば悔いのない人生が送れるはずだ。西澤さんが向かっているのは、そんな自然な道なのだろう。

(了) 東京にて。Jan 2005  
Posted by ktukjp at 23:29

NIC-インタビュー 小林茂喜さん ネバダ州立大学リノ校

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小林茂喜さん
University of Nevada-Reno 
2005年6月 ネバダ州立大学リノ校工学部機械工学科進学
長野県立上田高校出身 NIC第17期生


夢はF1のエンジニア  〜「達成感と充実感」を感じる日々


◆レース漫画がきっかけ

「将来はF1レースのスタッフになりたいんです、エンジニアとして…。」
そんなはっきりとした夢を語る小林さんは、自動車のことを深く学ぶためにアメリカで機械工学を専攻するつもりだという。
「色々調べてみたんですけど、日本の大学では自動車工学とかを専門に学べるところが少ないんです。アメリカだと、企業と大学が提携して、共同研究などをしているところがたくさんある。だからアメリカに行くことにしました。」

海外進学には明確な目的が必要といわれる。でも、20歳前後で、将来の明確な目標を持つことは簡単なことではない。小林さんはなぜここまで明確にできているのか?
「きっかけは漫画なんです。むかしから漫画好きで、とくに“レースもの”をよく読んでいたんです。普通は主人公のレーサーに憧れると思うんですけど、僕はその主人公を陰で支えている人、つまり車を作ったりチューニングしたりするエンジニアがカッコイイと思ったんです。」

当然、自分でも走りたいけど、それよりも自分で車を作る方に興味がある…。モノづくりにピッタリの考え方の持ち主だ。

◆忙しいけど充実したNICライフ

小林さんは今、NICで学びながら、ガソリンスタンドでもアルバイトをしている。
「これがまた勉強になるんですよ。色んな車がやってくるし、たまにオイル交換とか、ちょっとした修理とか、先輩の作業を見る機会もあって…。」

週末はフルタイムで働き、平日も早朝から働いた後にNICに通うときもあるという。
「忙しいですけど、毎日充実していますよ。高校までと何が違うかというと、『今日はこれだけ勉強した』とか『今日はこれだけアルバイトした』とか、やりがいが感じられることです。やった分だけ、自分に返ってきている実感があるんです。」
イベントの実行委員も務め、スポーツ大会やハロウィーン・パーティなども企画。周りの学生に喜んでもらえることが嬉しい。

「中学のときにも選挙管理委員長をやったことがあるんですけど、そのときも楽しかった記憶がありますね。」
自分が表に出るのではなく、裏方として活躍する…。レーサーではなくエンジニアを目指すところに通じている。


◆勉強が面白い

もちろん勉強にも熱心。
英語力が伸びていくのを日々実感するという。
「東京に出てきた最初の頃、駅のホームで外国人に聞かれたことがあるんです。『○○に行きたいんだけど、どのホームに行けばいい』って。英語が出てこなくて、『ゼア』と指差すことしか出来なかった…。でも今は臆することなく教えてあげられます。」

毎日11時ぐらいまで勉強しているという小林さん。今はちょうど真ん中のレベルのクラスに在籍している。
「英語は別に好きではなかったんですけど、必要だからやっている感じはありました。でも今は授業が面白いんです。高校までは感じたことがなかったんですけど…。」

ここ最近は、間近に迫ったプレゼンテーションの準備に忙しい。
「3人のグループで日本酒についてのプレゼンをやるんです。どうやって作られるのか、酒造所はどうなっているのか、どんな飲み方があるのか、…。みんなで分担してリサーチ中です。先日は酒造所まで見学に行ってきましたよ。僕が担当するのは、どんな『おつまみ』があるのかというパートなんですけど…。」
二十歳前なのに、どうやって?
「いや、飲んでないですよ(笑)。お酒好きの先生にインタビューしたりしてるんです。」

◆すべてが学びの日々

NICでの授業、そして東京での一人暮らし…。毎日が学びの連続だという。
「叔父さんに言われたことがあります。『アメリカに行くのもいいけど、日本の首都・東京を見ておかないとな』って。人はたくさんいるし、色んな場所・モノがあって飽きないですね。それに一人暮らしも初めてなんですけど、ちゃんと自炊してるんです。両親がお米を送ってくれるんで、カレーとか親子丼とか作ったり…。あとチャーハンを作って弁当にして持ってきたりもしてます。」

遊ぶ時間はあまりないけど、授業の合間に友人と話すのが楽しい。
「自分の意見を持っている人が多いんです。高校の頃は、どんな話をしても『どうでもいいじゃん』みたいな人が多かったけど、ここでは違う。だから、話をしてて面白いんですよ。」
小林さんが目指す自動車整備士の世界では「どうでもいい」が通用しない。F1スタッフとなれば、なおさらだ。

常に意見をぶつけ合える仲間がいる。でもアパートでは自炊して、独立精神も養う。勉強にもアルバイトにも「達成感と充実感」を感じる日々。アメリカに行ったら、もっと厳しい環境が待ち構えているが、そのための準備を着々としている小林さんには、そんな近い未来が待ち遠しくてしょうがないといった感じだった。

(了) 東京にて。Jan 2005  
Posted by ktukjp at 23:28

December 29, 2004

NIC-インタビュー 渡辺恵智さん カリフォルニア大学サンタバーバラ校_II

渡辺恵智blog用1渡辺恵智さん
University of California-Santa Barbara
カリフォルニア大学サンタバーバラ校 物理学部卒業
新潟県立柏崎高校出身 NIC第11期生
日本ナショナルインスツルメンツ株式会社勤務


いい出会い」が僕を成長させてくれた
 〜好奇心と感謝の心がLUCKを運んできてくれる。




◆原点は「物事の動く仕組みが知りたい」という好奇心

東京タワーのふもとにある大きなオフィスビルの4Fに米国IT企業である日本ナショナルインスツルメンツ社はある。フロア全体が細かいコンパートメントで仕切られ、外資系特有の雰囲気を醸し出す。「いまは働いているというより勉強しているという感じですね。ここにいるだけで色んなことが学べるんです。様々なものを計測するサービスを行っている会社なんですが、関わっている業界が自動車、半導体、携帯電話、そして原子力発電所まで、幅広いんです。大学で学んだことが『ああ、こういう風に応用されてるんだ』という発見の毎日ですね。」

明るくそう話す渡辺さんだが、この会社は労働環境の良さでも世界的に評価が高く、日本では都知事賞も受賞している。
「留学生も多いし、女性も多い。社内も自由な雰囲気だし、本当に居心地がいいですね。好奇心旺盛な人には、ハマる会社です。」
そんなイキイキとした渡辺さんは、実は中高時代はまったく勉強していなかったという。

◆まったく勉強しなかった中高時代

「毎日、午前中はクラスで寝てましたね。だって毎晩、徹夜でスケボーやったりテレビゲームやったり、麻雀やったりして忙しかったですから。」だから留学を決意し、担任の先生に言ったときは驚かれた。

「意外という顔をされましたね。君がその道に進むとは思わなかったという感じで…。でも反対はされませんでしたよ。親も『あっ、そう』という感じ。4人兄弟の2番目なので、好きなことをやらしてくれたのかも…。もちろん、ほったらかしというわけではなく、自分の決めたことを尊重してくれ、絶大なサポートをしてくれましたけどね。」

NICに入ったときはTOEFLが320点(CBTで40点台)ぐらいしかなかった。
「でもNIC修了時には550点台の半ばまで上がりました。もともと留学を考えたのは、将来は技術職か研究職につきたいと漠然と考えていて、論文はほとんど英語だから、それなら英語は出来たほうがいいし、最も興味があった天文学もアメリカのほうが進んでいるからでした。英語は必要だから必然的にマスターできたんだと思います。」

◆楽しんだシャスタ・カレッジ、勉強漬けだったUCサンタバーバラ

渡辺さんは当初はカリフォルニア北部の田舎町にある2年制のシャスタ・カレッジに進学。勉強もしたが、ここではとにかくあらゆることにチャレンジした。
「ここで出来た友達の父親が飛行機のインストラクターだったんです。それで休みのときとかにただで乗せてもらったりして…。操縦させてもらったこともありますよ。もちろん2人乗り飛行機で後ろでライセンスを持ってる友達も操縦可能な状況でしたけどね。」

興味は空だけでなく、陸でも…。
「あと車を改造してレースにも出たりしてました。車に詳しい友達がたくさんいて、エンジンを丸ごと取り替えたりして…。田舎町だったから、ほかにやることもなかったんですよ(笑)。」

勉強面ではお気に入りの先生がいて、その先生のクラスを3つも取った。
「仙人みたいなおじいちゃんの先生なんですけど、いつもペットボトルを持って授業をやるんです。興奮してくると、たまに「わかってるのか?」とか言いながら投げつけてきた(笑)。」
2年を過ごし、州内の4年制大学に編入申請。UC バークレーとUC サンタクルズ校にも合格したが、天文学で有名なUC サンタバーバラを選んだ。

「サンタバーバラでは一転して勉強漬けの毎日。授業は難しいし、密度は濃い。でも最先端を学んでいる充実感がありました。研究室では、大気中からでは見えない光を捕らえるために望遠鏡を気球に載せて大気の上空から宇宙を覗くようなこともやりました。そうすると、はるか遠くまで見えるんです。」

◆出会いを大切に

かつて勉強なんてしていなかった生徒が、アメリカに行き、天文学でトップクラスの大学の学生として、勉学に励む。海外進学の本質がそこにある。
「学ぶことって、いつでも出来ると思うんです。もともと僕も30歳ぐらいまでは天文学の研究生活かなーと漠然と考えていたけど、その前に少し『世の中の役に立つことをしたい』という思いが湧いてきて、就職することにしました。でも、いつでも学校には帰れますよね。望みさえすれば…。」
渡辺さんのもとには毎日クライアントから多くの問い合わせが寄せられる。当然ながら、みんなその道のプロ。入社間もない渡辺さんが質問に答えられるのか? 答えはイエス。

「だって、うちの製品に関しては僕のほうが“曲がりなりにも”プロですから。もちろん頼りになる先輩が助けてくれるからなんですけど…。」
渡辺さんが順調な人生を送っているように見えるのは、その先輩のような人との出会いを大切にしているからに他ならない。

「これまで色々な人との出会いや様々な物事に挑戦できる機会がありました。ラッキーですよね。そして感謝の一言。もちろん、その機会というのも、自分から掴もうと行動に移さなければ直ぐに逃げてしまうものなんでしょうけど。」

人生は人との出会いで作られる。でも同じ人に会っても、全ての人が同じ影響を受けることはない。出会いを自分の成長の糧にできるのは自分だけ。そして、そこで大事になってくるのが好奇心と感謝の心。そんなことを渡辺さんの笑顔が物語っていた。


日本ナショナルインスツルメンツ株式会社:
コンピュータベースの計測・テストオートメーション製品のパイオニアとして業界をリードする米国ナショナルインスツルメンツの日本支社。米国Fortune誌の「The 100 Best Companies to Work For」(アメリカで最も働きがいのある会社)に5年連続で選出されている。日本国内においては平成12年度「男女労働者に優しい職場推進企業」制度において東京都知事賞・能力活用賞を受賞している。

(了)東京にて。Oct.2004


  
Posted by ktukjp at 23:28

December 04, 2004

NIC-インタビュー 秋田周平さん カリフォルニア大学バークレー校

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秋田周平さん
University of California-Berkeley Ba in Film Studies
カリフォルニア大学バークレー校 映画学部
宮城県立仙台第二高校出身 NIC第14期生

いま何を学ぶべきか
 〜大事なのは技術ではなく中身。伝えたいものがなくては何も始まらない。




◆映画学部を出てもいい映画は作れない

「もともと南カリフォルニア大学(USC)の映画学部を目指していたんですけどねー」
そう笑いながら語り始めた秋田さんは、バークレー校で映画を学ぶ傍ら、すでにフジテレビで放映中の「灯り・物語」の番組制作に携わっている。
将来は同じ宮城県出身の「くどかん」こと宮藤官九郎氏のように、企画と脚本の両方を手がける映画マンを目指すという。

映画学部の名門といえばやっぱりUSCと言われるが、秋田さんはなぜバークレーなのか?「実は短大(ディアブロバレーカレッジ)からトランスファーするときに、USCには願書を出し忘れちゃったんです…。ボランティア活動をしていて、何かと忙しくしていたので…。でも今考えると、迷いがあったんだと思います。本気だったら出し忘れるはずはないので…。」

その迷いとは?「こっちに来て沸いたんですが、映画学部で学んだからといって、いい映画は作れないんじゃないかという素朴な疑問です。ちょうどバークレーに合格して行くか行くまいかで悩んでいたとき、あるチーフ・プロデューサーの方と話す機会があったんですけど、その方が『今は新しい番組は作る気になれない。だって今の俺には伝えたいものがないからな。』と言われたんです。大事なのは技術とか理論よりも、『何を伝えたいのか?』。だからバークレーで映画を専攻しつつも、幅広い学問を学んで、自分の幅を広げようと思っています。」

確かに、人々を感動させるのは技術でも理論でもなく、作品から心に伝わってくるメッセージ。そんな作品を作るためには、自らが感動する体験を一つでも多くしなければならないし、様々な角度から人間を観察する能力、多様な価値観を認めるキャパシティー、そして幅広い教養が必要になってくる。「卒業してからその現実に気づく人が多いと思います。僕は幸い、早く気づいた。これは良かった。」

◆もともとは理系だった

では、そもそも秋田さんはなぜ映画マンを目指しているのか?
「もともと僕は理系だったんです。それで、音響とか、日本では学べないことを勉強するために海外進学を志してNICに入ったんですね。そこで3期生の依田さん(依田浩一さん:USC卒)が開催されていた「映像工房」に興味本位で入ってみたらある日、脚本の宿題が出されて…。いろいろ試行錯誤しながら仕上げていくうちに、のめりこんでいったんです。」

人が進む道を決めるきっかけというのは、ある日突然の出来事のようにやってくる。でもそれは決して偶然ではない。同じとき、同じ場所で、同じ出来事に遭遇しても、何かを感じる人と感じない人がいる。人は結局、自分の興味のあるモノや情報にしか反応しない。秋田さんが脚本作りにのめりこんでいったのも、心の中のどこかに何かがあったはず。

「そういえば、叔父がドキュメンタリーの映画監督をしてるんです。法学部出身なのに…。叔父は昔、学生運動をやっていて、世間に伝えたいこと、言いたいことがあったらしいんです。そんな話を聞いた影響があるのかもしれませんね…。」

◆日本人だから出来ること

秋田さんは映画を通じて何を世間に伝えようと考えているのか?
「まだ具体的にこれといったものはないですよ。でも叔父じゃないけど、バークレーもかつてはアメリカの学生運動の中心地だった。ここで色んな考え方やアイデアを吸収して映画製作に役立てたい。」

アメリカで映画を学ぶことの意義は?
「映画は地域によってそれぞれの特徴があると思います。ヨーロッパは芸術寄り過ぎだし、アメリカはストーリー展開がうまいけど、中身はそれほどじゃない。日本は雰囲気だけという感じ…。僕はそれらを全部融合して、新たな領域へと展開していきたい。でも、一番大事だと思うのは、伝えたいことがちゃんと伝わること。そういう意味では、アメリカのスタイルが一番いいとは思っています。あと、『日本人だから出来ること』と『アメリカにいるから、アメリカで学ぶから出来ること』も有効に活用していきたいですね。」

◆どんな人にもストーリーがある

ディアブロバレーカレッジ時代、秋田さんは脚本のクラスで出された課題で、『サムライの家系がアメリカに生き残っていた』という設定の脚本を制作したという。これは確かに『日本人だから出来ること』と『アメリカにいるから、アメリカで学ぶから出来ること』を上手く活用している。

「とにかく僕はアイデアで勝負していきたい。自分にしか書けない分野を築き上げていきたい。その脚本のクラスでは留学生は僕一人でした。たいへんでしたけど、ちゃんと『A』を取りました。英語力は足りなくても、アイデアがあれば勝負できる。バークレーでも卒業までの2年間で、ハリウッドに持っていけるぐらいの脚本を完成させますよ。」

そして最後にこう付け加えた。
「NICには個性の強い人ばかり集まってきていますよね。そして、バークレーでも、本当に色んな人がいて色んな考えをもって生きている。だから物事をよく見るようになったし、視野が広がっていくのを実感しています。自分の考えは絶対じゃない…。そして、どんな人にもストーリーがありますよね。僕はそれを映像にして伝えたい。」
自分のストーリーを語れる人は強い。しっかりと他人に語れるだけの自らの道を歩んでいるからだ。

秋田さんが歩んでいるのも、他人任せではなく、自分で作り上げるストーリー。人はみんな自分の人生の脚本家なのだから…。

(了)バークレーにて。Nov.2004  
Posted by ktukjp at 04:04

December 03, 2004

NIC-インタビュー 関本幸さん カリフォルニア州立大学ノースリッジ校大学院

関本幸blog用1





関本幸さん
California State University-Northridge
カリフォルニア州立大学ノースリッジ校 大学院コミュニケーション学専攻、ネバダ州立大学リノ校からカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に編入。2003年5月、コミュニケーション学部卒業。同年9月同大学院入学。TA(teaching associate)として2クラスを担当。奨学金を得ながら先生と学生の二役をこなす。
東京都 八王子高稜高校出身 NIC第12期生


コミュニケーションのレンズを磨いて世界をもっともっとよく見たい。


2003年の9月から、「半分先生、半分学生」という超多忙なキャンパス生活に果敢に挑戦中なのが関本幸さん。大学院の一学生としてコミュニケーション学を学ぶ一方で、同時にTA(teaching associate)として教壇にも立つ。彼女の受け持ちは2クラス。ネイティブが大半という学生たちになんと「英語のスピーチ」を教えている。

■ ■ ■ ■
ノースリッジ校は、LAの中心街からフリーウェイを北上して1時間弱。さまざまな樹木群が柔らかな影を幾重にも預ける緑の芝生が、キャンパス一面に広がっている。だが彼女のコレまでの道のりは、その芝生の起伏のようにゆるやかで平坦なものではなかった。

■ ■ ■ ■
「高校時代から留学は切望してました。できれば大学の交換留学って制度で行こうって。でもかなり自信を持って臨んだ私大の推薦から漏れちゃって・・・高1のときからから英会話のスクールにも通っていたんですけどね(笑)よし、それなら直接、アメリカの大学に行けば!ってそう考え直したときに出会ったのがNICでした」

■ ■ ■ ■
「海外へ直接留学する。そうはいっても、自分ひとりじゃわからないことや不安が山ほどあるじゃないですか。だから、もうワンステップ、海外留学について学ぶ機会と時間が欲しいと考えていた私には、うれしい出会いでした。NICの1年間は、私の財産ですね。英語力の向上、勉強への姿勢、時間の有効配分の大切さ、新しい自分の基礎固めにとても重要でした。その経験は今も毎日の学業生活に大きく生きてます」瞳がキラキラ輝く。

■ ■ ■ ■
「留学について両親からの反対は特にありませんでした。なにも言わずに黙って背中を押してくれました。それはラッキーだなと思います。でも、それは、私にこれからのことについて全責任を持ちなさい、そういうことですよね。何を学んでも、何も学ばなくても、アメリカですることはすべて自分の責任。だから私はこの国でしか学べないこと。それに貪欲でありたいと思うんです」

そんな彼女がネバダ州立大学リノ校からカリフォルニア州立大学のノースリッジへの編入を決意し実行したのはジャーナリズムを専攻するため。でも編入してほどなく彼女は気づく。どうやら自分が本当に興味あるのは、型にはまったニュース記事の書き方じゃない、事実の奥に隠された真相に光をあてることの方だと。そこで再び軌道修正。専攻を変える。コミュニケーション。こころの結びつき。そのクラスでの一人の教授とのめぐり合いが、教育コミュニケーションの重要性への目覚めと、現在のTA職に結実しましたとも語る。

■ ■ ■ ■
「コミュニケーション学って、社会学や文化人類学、心理学、いろいろな学問がクロスしていてとても興味深いです。その教授に出会うまで、“先生”という職業には正直興味ありませんでした。でも、教育って、生徒が先生の言葉を書き写すことじゃないんですよ、先生の本当の役割は生徒のかくれた才能を引き出すガイドなんですよ、って言葉を聞いたときに、新しい世界が見えました。先生っていいな、素直にそう思いました」口元がほころぶ。

■ ■ ■ ■
「いま、毎日猛烈に忙しいです。大学院、TAとして初めての学期ということで、私自身がまだまだ模索中。そんな中で、ネイティブ相手に英語のスピーチ教えるなんて、すごいプレッシャー。でもそれに負けるのはイヤなんです」彼女の言葉はさらに温度を上げる。

■ ■ ■ ■
「留学って、勇気と努力の格闘、サバイバルじゃないですか。たいへんなことも、いいことも、次から次にやってくる。だから毎日をポジティブに考え、全力で前進しよう。コミュニケーションのレンズを磨いて、世界をもっともっとよく見よう。そう心がけてます」空気が弾んだ。彼女の迅速な行動力を支えるのは、きっとこの笑顔と鍛えぬいた強固な精神力。

(了)ノースリッジにて。Nov.2004
  
Posted by ktukjp at 10:10

NIC-インタビュー 榎枝竜載さん カリフォルニア大学バークレー校

榎枝竜載blog用1


榎枝竜載さん
University of California-Berkeley
カリフォルニア大学バークレー校 自然資源学部環境経済学科
佐賀県・弘学館高校出身 NIC第14期生


大学は好きなことを見つける場所
 〜「受験勉強をやっている場合じゃない」



◆英語だと世界から情報が入ってくる

「こっちに来てから視野が広がりましたよ。英語だと世界中から情報が入ってくるじゃないですか。日本だと意識しないと世界とつながらないし…。だから大学ではもちろん、学外で学ぶことも多いですね。」

そう元気よく語る榎枝さん。専攻も環境経済学という幅広い学問で、グローバルな知識と教養そして感覚が要求されるから、世界中から優秀な学生が集まるバークレー校は学びの環境としては申し分ない。
「この環境は日本にはまずないですよね。恵まれていると思いますよ。」
そう語る榎枝さんの横を、休憩時間になったのか、数多くの学生が通り過ぎていく。多種多様な人種、年齢、…。

確かに日本にいては、なかなか世界とつながらない。表面的な情報は溢れているかもしれないが、それらから身近に世界とつながっている実感は得られない。でもアメリカ人はみんな世界とつながっているのか?

◆肩肘張っていた渡米当初

「そうはいってもアメリカ人でも、世界には色んな国があって、様々な考えを持っている人がいるということに無関心な人もいる。そのことに気づいたことは凄く大きいです。」

渡米当初、サンノゼ近くのFoothill Collegeにまずは進学した榎枝さんは、少し肩肘張りすぎていた時期があった。

「海外は初めてだったんです。色んな人種の人がいるのにまず驚きました。ずっと日本で日本人ばかりに囲まれて育ってきていたので、その環境の変化に戸惑いましたね。今考えると、相手は別に何も意識していないのに、自分が『日本人』であることを意識しすぎていた感覚があったと思います。英語にしても、下手な英語を喋ると相手に迷惑なんじゃないかと思ってみたり…。あとヨーロッパ系の留学生はすぐにアメリカ人と仲良くなるけど、こっちは見た目は違うし、体格も小さいしで、ちょっと気後れがありました。」

それでも次第に打ち解けるようにはなった。
「英語力が上がるにつれ、自分に自信がついたんだと思います。同じものを見ていっしょに笑ったりすることで、一体感も感じられるようになりましたしね。それに、慣れてくると見掛けなんて気にならなくなる。何人とかじゃなくて人対人という感じになりましたね。」

◆「受験勉強をやってる暇があったら、やりたいことを見つけろ!」

今はもう肩から力も抜けた榎枝さん。その変化はこんなところにも表れていた。
「トップスクールへのトランスファー(編入)って、成績以外の活動も重要になるって言うじゃないですか。だから最初は、リーダーシップのクラブに入ってみたり、色々していたんです。でもそれは自分のやりたいことじゃなかった…。だからあるとき、やりたくもないことをやってまでトップスクールに入ろうとは思わなくなって止めましたね。かなりすっきりしました。好きなバンド活動にも専念できましたし。」
それでも希望どおり、バークレー校に合格した。
「理由はわからないですよ。でも、やりたくないことを止めて、自分らしさを追及したことが、伝わったのかも…。」

もともと榎枝さんが海外進学を志したのも『やりたいこと』の追求のためだった。それは高校時代、NICのインタビュー集にあった先輩の言葉に衝撃を受けたことがきっかけだという。
「そこにあったんですよ。『受験勉強なんかやってる暇があったら、自分のやりたいことを見つけろ!』という言葉が…。大学に行く意味がわからなくなっていた頃でしたから、心にビーンと響きましたね。この言葉がもとで、別にアメリカがいいとかじゃなくて、変化が欲しくて海外を目指したように思います。」

◆日々何かを得ている実感

では榎枝さんにとって、『やりたいこと』とは?
「実はまだはっきりとは固まっていないんです。というか、今はっきりと『やりたいこと』を決めるのは無理だと思っています。専攻は環境経済ですけど、別に将来これで食べていこうという考えがあるわけでもない。大学というのは、専門知識を付けるだけではなくて、人とのコミュニケーションや、情報収集の仕方、まとめ方などを学びながら、好きなことをやれる場所だと思っています。そうしたなかで社会に出て行ける力を付けていく。」

榎枝さんは今、学内外で様々な経験をし、考え悩むことで、自分が成長していることを実感する毎日だという。
「悩み考えることは、次へのステップにつながります。色んな人間がいて、色んな価値観がぶつかり合うアメリカでは、日本にいるより考え悩む機会が多いから、それだけ成長する。日々何かを得ている実感があるのが、最高に幸せですね。」
短大時代のアパートから引っ越さずに毎日1時間半かけて車と電車で通っているという榎枝さん。

「電車の中では、みんな新聞を読み終えたら電車の中に置いていって、次に乗ってきた人が読んでいる…。ラップを聴いてる黒人の兄ちゃんも、鼻ピアスしている白人の兄ちゃんも、杖をついてるお爺さんまで、みんな新聞を拾って読んでますからね。人々の意識の高さを感じますね。」
日々の生活の中からも学ぶことの多い海外生活。榎枝さんはそれを満喫しているようでした。

(了)バークレーにて。 Nov.2004
  
Posted by ktukjp at 03:03

December 02, 2004

NIC-インタビュー 新井宏明さん 南カリフォルニア大学

新井宏明blog用

新井宏明さん
University of Southern California
南カリフォルニア大学経営学部会計学科 2004年5月卒業
福島県・日本大学東北高校出身 NIC第12期生
アーンスト アンド ヤング(L.A.)会計事務所





自分がどこまでできるかが大切。
他人に認めてもらうための結果はいらない。



「留学の動機、それは“英語でビジネスの勉強、特に会計学を学びたい”そう思ったからなんです。なぜなら財務諸表には、そのまま企業の将来性が現れているから。どの会社と組んで仕事をして、どの部門にどれだけ投資しているか、それが全部明快に数字で示されているじゃないですか。経営がうまくいっている企業、それは、資金をどういうふうに管理運営し投資しているか、一目瞭然でわかりますよね」

■ ■ ■ ■
カリフォルニア、いや全米屈指の名門大学のさらに看板学部で学ぶ新井宏明さんの語り口は実に整然としている。「USCを志望校に選んだのは、まず全米トップランクのレベルの高さ。会計学を学ぶのに最適の環境が約束されているということ。次に東部と比べてカリフォルニアの方が周辺コミュニティの形成・整備に分があり、断然生活しやすいということ。この2点です」

■ ■ ■ ■
さらにUSC進学を念頭においたとき、いきなり現地入学を目指すより、いろいろな勉強方をひととおりマスターしてからの方が、結果的に効率がいいはずだ、そう考えた新井さんは、NICの存在を知ると福島の説明会にさっそく両親と訪ね、入学を決意する。

■ ■ ■ ■
そうしてNICの寮と学校の往復のみという厳しい日々をくぐりぬけ、南カリフォルニアの陽光の下で念願の会計学ひと筋の道に進む。初志貫徹。夏休みも返上して勉強に励んだ彼は、5月、3年半でキャンパスを巣立つ。しかも会計士として社会人生活の第1歩を踏み出すのは、世界のトップ会計事務所、アーンスト アンド ヤング。勤務地は住み慣れたL.A.

■ ■ ■ ■
ところで会計事務所というとどうしても数年前に世界中を震撼させたある事件を思い出す。
「個人的には、あのエンロン事件っていうのは、会計士のあり方、本来の在るべき姿、とるべき姿勢を世間の人々や投資家がもう一度見直すいいきっかけをつくってくれたと思うんです。企業としての信頼をマーケットの中にきっちりフィックスする。そのために会計監査というシステムがある。企業は正確な財務情報をマーケットに公開する責任と義務がある。そこに虚偽は絶対許されない。そうした社会的意義が見直されるいい機会になったと思うんです。だから、その社会的に高いレスポンシビリティを要求される仕事の一翼を自分が担う、そこにある種の厳しさ、そして喜びと誇りを感じますね」

■ ■ ■ ■
また“教育問題”に人一倍関心のある新井さんは、日本のゆとり教育にも深い関心を寄せる。
「円周率の問題を例にとれば、勉強する内容を減らしてゆとりをもたそう、っていうのはどうなんでしょう?教科書を薄くして勉強の内容を減らして学生の負担を減らそうっていうのはどうなんでしょう?ゆとり教育の本来のあり方って、個人的に思うのは、大学受験に失敗してもまたすぐチャンスがあるような社会的なシステムのゆとり、そういうことが大切なんじゃないかって思うんです。卒業したら、それでおしまいという短大のあり方も疑問です。さらに深く学びたい人のために、4大へのスムーズな編入のチャンスがもっと欲しいですよね。一度社会に出た後でもまたキャンパスに戻ることができる。そうした、ある程度長いタームで学ぶことができるシステムも。そういう意味で、数多くの選択肢が用意されてるアメリカの大学システムは、ある種本当の意味での教育のゆとりがある、そう思いますよね」

■ ■ ■ ■
アツイ持論を説く彼にはもうひとつ別の顔がある。予習を怠ったら即、濁流に呑みこまれおぼれてしまうという、猛烈な勉強の合間を縫って週末は、JSN(JAPAN STUDENT NETWORK)というLA在住の邦人留学生を支援する会の会長を務めているのだ!この会はさまざまな交流イベントを企画してその収益を奨学金として学生に還流するという役目も担っている、ユニークな邦人NPO団体である。

■ ■ ■ ■
最後に彼に尋ねた質問。留学後にいちばん向上したスキルは何でしょう。答え。「タイム・マネージメント!」なるほど。

(了)LAにて。Nov.2004
  
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NIC-インタビュー 神田真里さん カリフォルニア州立大学サンディエゴ校

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神田真里さん
San Diego State University 
カリフォルニア州立大学サンディエゴ校
国際経営学部マーケティング学科
静岡県・浜松海の星高校出身 NIC第12期生



意思あるところに、道がある
 〜意思がないところには道がない。「周り」という川に流されるだけ。



◆スペイン語もマスター

「サンディエゴはメキシコ国境に近いから、スペイン語を聞く機会が多いんです。だから最初は興味本位で習い始めたんですけど、生来の負けず嫌いが高じて、今はもうペラペラです。先生から『クラスで一番うまい』と言われたときはうれしかったですね。」
明るくそう話す神田さんは今、SDSUで国際ビジネスを学んでいる。

「将来は大学院まで行って、ビジネスだけじゃなく言語学や国際関係も学びたいです。高校時代は単純に日本の大学の外国語学部を考えていたんですけど、受験勉強がつまらなくて…。そんなときオーストラリアにホームステイしたときのホストファミリーからの手紙に励まされたんです。『好きなことをやればいいじゃない』と書いてあって、私は英語もビジネスも国際関係も全部学びたいと思ったので、もう海外進学しかないと。」

そして様々な機関から資料を取り寄せ、母を連れて話を聞きに行き、NICを選んだ。
「実際に海外進学しているNICの先輩の話を聞くと、みんな生き生きしているイメージがあったんですね。それで私より母のほうが乗り気になって(笑)。」
今ではそんな『生き生き』した人間の仲間入りをしている神田さん。
でも渡米直後には、大変な思いをしたという。

◆渡米直後の試練

「こっちに来て1週間ぐらいで、帯状疱疹にかかってしまったんです。大学病院に行って、電子辞書片手に必死に状況を説明しましたね。でも専門用語がさっぱりわからない…。結局、絶対安静ということでやむなく帰国しました。へこみましたよー。もともと落ち込むほうじゃないんですけど…。」
同級生から後れを取ってしまうことに不安を感じた神田さんだが、別の大学に進学していたNIC時代の友人からの手紙に元気付けられた。

「その手紙には『人にはそれぞれのペースがある』と書いてあったんです。私には私のペースがあるんだ。焦ることなく、ゆっくり行こう。どんなことがあっても、私は私、他人は他人。そう心に刻み込みました。」
でも、のんびりとしてもいられない。神田さんは帰国2週間後にはまたアメリカに戻ってきた。

「夢があったから、すぐに帰って来れました。思い返すと、この病気の経験が本当に私のターニング・ポイントになってますね。それまで挫折なんてしたことなかったけど…。その後も、苦労とか悔しい思いとか色々ありましたけど全部乗り越えてこれたのは、この経験のおかげです。」

◆「自分の信じる道を行く」

人にはそれぞれのペースがある。それはみんなわかっているようでわかっていない。
「日本で感じるのは、何歳では○○で、何歳では○○でという、年齢を基準にした考え方。アメリカではそんなこと気にしないですよね。大学は4年で卒業するものと決まっているわけでもないし、一度休学して戻ってきたり、メジャー以外の勉強もして卒業が長引いたり、人それぞれ。私は自分のペースでじっくり好きなことを学びながら、人間的に大きくなりたいです。」

実際、専門的なことも学びつつ、人間的に成長する機会も多い海外での大学生活。
「課題図書で読む量が多いからタイム・マネジメントの方法も身につくし、リポート提出も多いから自分の頭で考える習慣が身につく。クラスは問答法で進むから、自分が思っていることをすぐに相手に伝える能力も身につく。英語はまだまだ完璧ではないけれど、グループ・スタディーでは英語の良し悪しではなく、考えを聞いてくれる。だからどんどん積極的になれます。」
そんな毎日の中で、次第に「自分の中に核となるものが出来ていくのがわかる」という神田さん。
だからいま、「自分の信じる道を行く」と堂々と言える。

◆オプションが増える海外進学

「そういえば私の好きな言葉があるんです。中学3年のときの担任の先生が、卒業のはなむけとして、みんなに贈ってくれた言葉なんですけど、『Where there is a will, there is a way.』。意思のあるところに道がある。聞いたときは『えーっ』という大きなショックで、心に残りました。いまでも、辛いときに思い出します。」
この言葉、逆に言うと、意思がないところには道がない。「周り」という川に流されるだけ。

「私は今までの人生で『みんなと同じこと』をしてきたことに、もったいないと感じる。私はやりたいことをやって、生き生きとした人生を送りたい。アメリカには色んな人種、宗教、バックグラウンドの人がいて、その中にいると私は外国人というよりも「私」を意識する。「○○人だから」ではなく「私」と「あなた」の対等の関係。だから「みんな一緒はつまらない、みんな違って当たり前」という感覚がある。それが気持ちいい。」

「日本は窮屈だった」という神田さんだが、日本を嫌いなわけではない。
「将来のビジョンはたくさんありますよ。こっちにいるとオプションが増えるので。でもやっぱり将来は日本の役に立つことをしたいですね。生まれた国だから。」
そう思えるようになることは、海外で学び生活することで得られる最大の財産の一つ。神田さんは困難を乗り越えながら、着実に一歩一歩、自分のペースで前に進んでいた。

(了)サンディゴにて。Nov.2004
  
Posted by ktukjp at 10:10

NIC-インタビュー 中山莉彩さん カリフォルニア大学バークレー

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中山莉彩さん
University of California-Berkeley
カリフォルニア大学バークレー校 芸術学部
東京都・晃華学園高校出身 NIC第14期生


選ばない私…
 〜Yes, No,ではない第三の道




◆違いを気にしないアメリカ

「私って、どこの国の人なのか、わかりにくいらしいんです。」
天真爛漫な表情でそう話す中山さんは実際、台湾人とのハーフだという。
でも日本にいるときは、そんなことをあまり意識したことはなかった。
「名前も普通だし、特別視されたことはなかったんです。でもこっちに来てからは初めて会う人からよくオリジンを聞かれる。それで自分のルーツを強く意識し始めました。」

確かに多民族社会のアメリカでは日本で出身を聞くのと同じ感覚で、初対面の人に普通にオリジンを聞く。別にどこの国だからどうとか、ハーフだからどうとかいうこともない。それが別に珍しくもなんともなく、普通のことだからだ。

「でも、こっちではミックス・カルチャーってアピール材料にはなるんですよ。いろんな人と仲良くなれやすい気もするし…。私は今、日本人とか台湾人とかいうより、アジア人という感覚で生活しています。」
そんなアメリカの雰囲気が居心地がいい。

◆2つの興味を融合

そんな中山さんだが、もともとはイギリス留学を考えていたという。
「高校のときに交換留学で行ったことがあるんです。日本とイギリスは文化が深いという点で共通しているので、価値観とかエクスチェンジしやすいと思いましたね。」
でも、中学の頃からニューズウィークを購読し、いろんな国の人と交流したい欲求があったため、最終的には多民族国家アメリカを選んだ。

「あと大事だったのは、ダブル・メジャーができるという点。父親が医者ということもあって子供の頃からメディカル分野には興味があったし、でもアートも好き。両立できるのはアメリカの総合大学だったんです。」
そしてまずは短大に入学した中山さんは、この2つを融合できる可能性にも気づいた。

「心理学のクラスのボランティア活動で、DV(ドメスティック・バイオレンス)防止センターの手伝いに行ったんです。そこには壁一面に絵が貼って、とがっていたり、色が暗めだったり、特徴的なものばかりだったんです。『これだ!』って思いましたね。人間の心は言葉より絵で表現しやすいって。」
それはアートセラピーという分野があることに気づいた瞬間だった。
だから今はアートとプリ・メディカル(医学部進学課程)のダブル・メジャーをしている。

「日本だと、この2つのダブル・メジャーって、ありえないと思われますよね。でも、こっちの友達は『いいじゃん、やろうよ』と言ってくれる。ありえないということがない。これがアメリカ。」

◆『ぬるま湯』だった日本

バークレー校には全米はもとより、世界中から学生が集まってきている。キャンパス内を歩いている学生の顔や服装も、多種多様。そんな希望通りの環境の中で、希望通りダブル・メジャーをして充実した毎日を送っている中山さんは、高校時代は方向性が見出せずに戸惑う日々だったという。

「日本って、私にとっては『ぬるま湯』だったんです。熱くも冷たくもない。気持ちいいけどボーっとしている内に時間が過ぎていく。私は刺激が欲しかったし、人生に響くような何かを経験したかった。だから高校時代は、あらゆることに手を出しましたね。クラブ活動、バンド活動、生徒会、他にも色々やりました。やっていれば何かがあると思ったんです。でも、期待したようなものは得られなかった…。」
だから高校のときから留学しておけばよかったとも言う。

「言葉が喋れないと、本当の自分の能力より劣って見られることが多いですよね。もちろん言葉の問題だけじゃなくて、自分の意見を持つということと合わせてですけど、そんな習慣を身につけるには早ければ早いほどいいと思うので…。」

でも時間は戻らない。だから今を生きるしかない。
「最初の頃は、英語が通じなかったらどうしようとか思ってましたけど、しばらくしてから『聞き取れない、理解できない相手が悪い!』と開き直りました(笑)。今はもう誰にでもどんどん喋りかけるようにしてますね。」

◆いつも道を2つ作ってしまうけど…

それでもまだ言葉の壁はある。
「まだ言いたいことをスムーズに伝えることができていないんです。いつも途中で止まってしまう。でもそんなとき友達は言ってくれる。「Never mind. 気にしないで続けなよ。途中でとまってしまう方が、余計にわからなくなるよ。」そして、それでも言えないときは「こういうこと?」と聞いてくれる。それが嬉しい。」そしてまた、「私はアジア人」と言いつつも、日本と台湾の両方のことを理解しようとしている。
「アートのクラスで日本のアーティストの話になったとき、よく質問されるんです。でも答えられなくて悔しい思いをする。あと中国語のクラスも取ってみたけど、父親に話してみるとぜんぜん通じない…。これもくやしい。」

2つの国にオリジンを持ち、学ぶ分野も2つ。「たまに思うんです。『私はいつも道を2つ作ってしまうな』って…。だからいつまでたっても集中できない。でも、それはそれでいいんだとも思っています。」

アメリカはイエスとノーがはっきりしていると言われる。でも、どちらかを選べないとき、第三の道を選ぶこともできる。選ぶというより、自分で作り出すといったほうが正しいかもしれない。

中山さんにはやりたいことがたくさんある。だから迷うことも多いのかもしれない。でも、やりたいことが何もない人よりは、はるかに幸せだ。

(了)バークレーにて。Nov.2004
  
Posted by ktukjp at 02:02

December 01, 2004

NIC-インタビュー 望月誠さん ネバダ州立大学ラスベガス校

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望月誠さん
University of Nevada-Las Vegas
ネバダ州立大学ラスベガス校 経営学部
04年12月卒業 05年より株式会社エイチ・アイ・エス勤務
三重県立津西高校出身 NIC第12期生

確固とした「やりたいこと」
 〜大好きな「旅行」をビジネスとして学ぶ




◆むかしから旅行好き

ラスベガスでマーケティングを学ぶ望月さんは、12月の卒業を控え、すでに就職先も日本の大手旅行会社に内定している。「むかしから旅行が大好きだったんです。父親が地理の先生ということもあって、小学生の時にはインドに行きましたし、中学の時にはサクラメントにホームステイ。そしてNIC時代にはタイに一人旅にも行きました。英語が通じて嬉しかったのを覚えていますね。」 海外進学を決めたのも、NICのガイダンスで「英語で専門課程を学ぶ」ということに惹かれたという。

「もともとは日本の大学の外国語学部に行こうと思っていたんですけど、外国語を「目的」とするのではなく「手段」として捉え、何か自分の興味のあることを学ぶ方が自分にプラスになることも多いと思ったので…。」

アメリカに来てからも好きな国立公園巡りをした。
「グランドキャニオン、ヨセミテ、デスバレー、アーチーズ、モニュメントバレー、イエローストーン、マウントラッシュモア、アンテロープ、…」
スラスラと十数か所もの名前が出てきた。よほど好きらしい。

◆観光をビジネス面から見る

そんな望月さんだが、渡米後に専攻を観光学からマーケティングに変更している。なぜなのか?
「短大(サザンネバダカレッジ)では観光学を専攻したんです。でもなんとなく面白くなかったというか、先生に恵まれなかったのかもしれませんけど…。それで最終学期にマーケティングに変更しました。」

それでも完全に観光学を捨てたのではなく、観光学とマーケティングをミックスさせたようなデスティネーション・マーケティングを学んできた。「これは旅行目的地を商品として捉えて、旅行客のニーズを満たしながら、その地域のメリットも最大化するように旅行客を誘致するために行うマーケティングのことです。要は観光学をビジネス面から捉える学問ですね。」 UNLVに編入してからは、グループ・プロジェクトも増え、かなり苦労したという。

「この学部には留学生があまりいないんです。最初はなかなか発言できなくて、悔しい思いをしましたよ。でもグループ内で何かの役に立たなきゃと思って、スピーチの授業を履修したり、友人と週に1回集まりデスカッションをすることで、自分の意見を相手に伝える練習に励みました。その他にも、自分の声をテープに録音して発音チェックしたりして…。徐々になれて、貢献できるようになりましたね。」

◆納得するまでやった就職活動

アメリカに来て、「人から言われるのを待つのではなく、自分から自主的に取り組んでいく」ことを肌で学んだという望月さん。それは就職活動のやり方にも表れていた。

「今年の前半の半年間、日本に帰国して就職活動をしました。こっちにいると、なかなか情報が入ってこないですよね。インターネットでいろんな情報は見れるけど、人づての情報があまりない。だから思い切って1学期間大学を休学したんです。」
もちろんターゲットは旅行会社。晴れて内定を得た旅行会社に決めるに当たっては、名古屋にあるその会社の支店を電車を使ってすべて周ったという。

「自分が本当にこの会社で働きたいかどうかを見極めるためには必要だと思ったので、納得するまで見て回りましたね。内定後には2ヶ月半ほど実際に働かせてもらいました。各支店でお客様と接する機会もありましたし、宣伝・広報課での研修にも参加させてもらいました。どのようなメディアを使ってツアー企画を宣伝していくのか、パンフレットやTVコマーシャルはどうやって作られているのか…など色々な経験をすることができました。」同時に、将来自分もこんなふうに成長したいと思える社員の方に出会えたこと、社内競争は激しいけれど自分が成長できる環境がある会社だと思えたこと、そしてアルバイトを通しての最も大きな収穫は、「本当に自分がこの会社で働きたいと強く再確認できたこと」だという。

◆確固とした「やりたいこと」のある人間は強い

でも、そんな徹底した活動の中で出会った日本の大学生の感覚に妙な違和感を覚えた。

「何人かの日本の大学生と話をしたんですけど、彼らの中にはこんなことを言う人がいたんです。『なんでアメリカの大学を出てまで、この会社なの?』って。好きなこと、やりたいことを実現できる会社だから僕は選んだだけ。」
『やりたいこと』を見つけることのできない人は多い。あまり考えずに就職するので、3年以内にやめてしまう新卒の割合が3分の1を超えてしまう。だから『やりたいこと』のある人間は強い。

将来の夢は、「日本人のお客様にも外国人のお客様にも、安心して頼りにしていただけるような、旅のプロフェッショナルになること」だという望月さん。入社後まずは、カウンターで直にお客様と接することで、顧客ニーズを吸収し、その後は、接客経験で培った経験や大学で学んだマーケティングの知識を活かして、仕事をしていきたいと思っている。

「この会社は旅行会社の中でも珍しく、マーケティングのセクションが独立しているので、将来は航空会社やホテルなど値段交渉をしたり、市場で優位にたてるように他の旅行会社の動向調査をしているマーケティング課で仕事をしたいと思っています。とにかく、この会社には、自分が挑戦してみたいと思える仕事が多いので、興味があることにどんどん挑戦できる環境があるという意味では、本当に自分は幸せだと感じています。」
人生という長い旅において、『やりたいこと』というのは『旅の目的地』に他ならない。それを見つけることが出来ずに漂流する学生が多い中、望月さんはしっかりとその目的地に向かっている。

(了)ラスベガスにて。Nov.2004

  
Posted by ktukjp at 10:10

NIC-インタビュー 日下彩さん カリフォルニア大学サンタバーバラ校

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日下彩さん
University of California-Santa Barbara BA in Film Studies
カリフォルニア大学サンタバーバラ校 映画学部
東京都・東京女子学園高校出身 NIC第14期生


勉強漬けの毎日だけど、好きだから続けられる。
 〜日本の大学生が羨ましいときも…





◆NICで、何をやりたいのか、深く考えた

卒業生マイケル・ダグラスも資金サポートをするUCSB映画学部。
日下さんは2004年9月に編入してきた。

「短大(ビュートカレッジ)では日本人もそこそこいましたけど、ここにはほとんどいない。映画学部には私一人だけ…。でもそうなると逆に不安だったりするんですけどね。」

いまは一からの友達作りに励んでいる。
「住んでいるのは一軒家なんです。夫婦が仕事で別の場所に引っ越しているんですけど、そこの娘がハウスシェアする人を探していて、私が部屋探しのウェブサイトに登録していたら電話がかかってきたんです。いまはもう一人の子と3人で暮らしています。」

そんな日下さんだが、当初は観光学部を考えていたという。
「もともと接客業が好きなので、観光客のサポートをする仕事がしたいと思っていたんですね。でもNICのときに色々カウンセリングをしてもらううちに、『観光の仕事は、別に観光学部で学ばなくても出来る』と思うようになって…。」
そして、学生時代には何を学ぶべきか、もっと深く考えるようになった。

◆将来のことより「いま好きなことをする」

「専攻を決めるのに、あまり将来のことを考え過ぎるのもどうかと思ったんです。それで、就職に有利だからといった理由で学部を選ぶよりも、とにかく『自分の好きなことをしよう』と思って、映画学部にたどり着きました。」
小さい頃から映画好きだったという日下さん。でも映画監督になりたいとか、こういう映画を作りたいとかいう野望まではない。

「映画に携わっていられればいいという感じですね。映画って、お金を払ってわざわざ観に行くもの。スイッチを入れたらいつでも見られるテレビとは違う。映画を見ているたった何時間かで自分のしたことのないこと、するかもしれないこと、絶対しないこと、などを疑似体験できるということが映画の魅力だと思います。色んな感情が刺激されて、幅広い視点から世の中を見れると言い換えてもいいですね。」

写真撮影のために普段は立ち入れないフィルム貯蔵室に教授と一緒に入る。何千本ものフィルムを見て教授に聞いた。
「卒業までにこれ全部観れますか?」
「それは無理だと思うよ。」
本当に映画が好きらしい。

◆たまに「これでよかったのか?」と思う

いま自分の好きなことをやれて幸せという日下さんだが、最近、日本の大学に行っている友人と話すとき、少し羨ましくなる。

「なんというか楽しそうなんです。日本の大学もそれなりに大変だろうけど、実家から大学に通って、バイトも出来て、自由に使えるお金もあって…。たくさん旅行とかしていて、ちょっと羨ましい。」

でも海外進学は「自分で決めたこと」だし、みんなには出来ない貴重な経験もしているので、留学できていることが凄いことだと思う。
「それでもたまに『私も日本の大学に行ってたら、あんな感じで、気楽に楽しめたのかなー』と思うときもあるんですよね。就職のこともそう。」

「私はまだこれから、どうやって就職活動しようかと考えている段階なので…。それに海外の大学では、本当に遊ぶ時間ってなかなか取れないですよね。このまま就職したら、『友達にはあった自由な時間が私にはいつ来るのかなぁ』って思ってしまう…。」

◆住んでみないとわからないアメリカ

人は自分のやりたいことをするとき、何かを犠牲にする。
学生時代に「遊ぶ」という面では、確かに日本の大学に行くのと海外に進学するのとでは、大きな違いが出る。

「でも、よく考えたら、私は彼らには経験できないことをしている。旅行ではわからないアメリカを体験しているし、色んな価値観にも触れることが出来ている。これは、すごい財産になると思いますね。ちょっと会っただけ、ちょっと話を聞いただけで、それがすべてのようになってしまいがちなのが旅行。生活したら、もっと深い体験が出来ますから。」

いま日下さんは、もう一つ犠牲にしてしまったものがあると感じている。
「家族との時間かなぁ。親は海外進学を決めたときも反対せずに応援してくれていました。アメリカに来てから、それまでは当たり前すぎて気づかなかったことに気づくようになったんですけど、その一つが家族と共に過ごす時間の大切さなんです。それを改めて実感したんですが、そういう意味でも海外に学びに来るということはたいへんですよね。」

離れてみて初めてわかる日本、そして家族の意味と大切さ。
そんな経験はどんな分野に進もうとも、必ず生かされるはずである。

(了) サンタバーバラにて。Nov.2004
  
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November 30, 2004

NIC-インタビュー 落合雅子さん ネバダ州立大学リノ校

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落合雅子さん
University of Nevada-Reno BA in Psychology
ネバダ州立大学リノ校 心理学部
神奈川県・鶴見女子高校(現:鶴見大学附属高校)出身 NIC第14期生





自分の過去を探して…
 〜人間は悩むことで成長する。



◆最初はアメリカ人が怖かった

落合さんは、リノ校で行動心理学を学ぶ傍ら、日本人会の会長も務めている。
「小学校に折り紙を教えに行ったり、色んなイベントを開いたりして、楽しいんですよ。授業では学べないこともたくさん学べるし、日本人としてのアイデンティティーを考えるきっかけにもなりますから。」
しかし今、「日本人会が危機」なんだという。

「3年に一回の周期でやってくるんですけど、メンバー数が減ってるんです。『日本人ばかりが溜まってる』イメージがあるみたいで…。でも、おかしいですよね。アメリカにいても『日本人』なんだから、日本人としての活動をするのは普通のことなのに…。日本人会は学内外でやっと認められてきているので、なんとしても立ち直しますよ。」

NIC出身者は各地の大学の日本人会で、様々な活動をしている。それは日本人学生向けの就職セミナなどのイベントであったり、一般向けの日本紹介イベントだったりする。落合さんはそんな活動を率いる立場にあるわけだから、やはりもともと活動的だったのか?

「とんでもないですよ。私はすごいビビリ症で、最初の頃はこっちの人が怖くてしょうがなかったんです。切手を買うのも怖かったんですから…。とにかく関わるのが怖かった。でも、ウジウジしていてもしょうがないと開き直って、当たって砕けろの精神で、アメリカ人と接し始めました。それで日本人会の活動にも積極的に参加して、アメリカ人と関わらざるを得ない状況に自分を追い込んでいったんですね。そしたら次第に自信がついてきて、今では“何でも来い”です。」

◆心身症だった幼少時代

渡米後にビビリ症を克服したという落合さんは、幼少の頃には適応障害に悩んでいたという。
「保育園から小学校低学年にかけての話ですが、周囲に馴染めず神経科に通っていたんです。『自分は何でこうなんだ』と考え始めていましたね。3歳なのに人間関係に悩むって凄いですよね。でも真面目な話、ストレスで心臓がバクバクしていたのを覚えています。」

そんな心身症は「時が解決した」という落合さんは、当時の自分に何が起こっていたのか知りたくて、心理学を学んでいる。
「むかしの通院記録とかは母が無くしてしまっていたんですね。それで『じゃあ、自分で学んでみよう』と思って…。日本にいるときからユングは読んでいたんですけど、こっちに来て本格的に学ぶようになってからは、色んな学者の色んな考え方や理論があることがわかってきました。だんだんと見方も変わってきたし、曖昧だったものが具体的になってくることを実感しています。今では、心臓神経症という適応障害の一種だったのではないかと思っています、まだ定かじゃないですけれど。」
そして将来は大学院まで進んで、臨床心理学の資格を取るつもりだという。

「こっちの大学院に進むか、日本の大学院に進むかはまだ決めていません。働く場所は出身地の横浜と決めているので、どちらかというと日本の大学院に心は傾いているんですけどね。」

◆「そうだね」と言ってもらうこと、言ってあげること

日本というよりも横浜のために何かしたいという落合さん。
臨床心理士として、かつての自分が苦しんだのと同じ状況にある子供を助けたいと言う。

「自分は助けてもらった記憶がないんです。お医者さんからは注射された記憶しかないですし、セラピストやカウンセラーはいなかった。あの頃、何が必要だったのかを考えるんですけど、答えは一つで、とにかく誰かに話を聞いて欲しかったということに尽きると思うんです。聞いてくれるだけでいい。答えはいらない。私が覚えているのは、話しても相手の価値観が返ってくるだけで、受け入れてもらえなかったことだけ…。だから、そういった子の気持ちを私が受け止めてあげられたら、と思うんです。」

人は誰でも、自分の話を誰かに聞いてもらいたがっている。でも、これだけ多くの人が周りに存在しているのに、話を黙って聞いてくれる人というのは少ない。
「小学校の頃は周りの子達から孤立していた。みんなと同じ中学校に行きたくなかったから受験して、別の中学に行きました。環境が変わって、そこではじめて本当の友達ができた。傍に話を聞いてくれる人が居る安心感は、彼女達から教わりました。こっちに来てからも勉強面はアドバイザーに相談できるし、プライベートなことは友達に相談できる。友達からは『そうだねー』と言ってもらえればいいんです。それで安心する。」

◆身体は着いても、心が来ない

「でも一番良かったのはNICのときかもしれないですね。中・高は同じ女子高でずっと変化がなかった。NICでは個性が強い人がぶつかりあっていて刺激的。世界が広がりました。みんなとの関わり合いの中で新たな発見がいくつもありましたし、自分の小ささもわかりました。あの1年間で自らを見つめ直したうえでこっちに来たことは凄く重要なことだと思います。別に直接こっちに来ることも出来ますけど、物理的に身体が着いても、心がついて来ないんじゃ、しょうがないですからね。」

人間は考える葦だと言った人がいる。でも実際は、考えるというより悩むことで人は成長する。そして悩みを乗り越え、前に進み行動していくことで、その成長を自分のものにしていく。落合さんが体現しているのは、そんな人間の成長の過程に他ならない。

(了)リノにて。Nov.2004
  
Posted by ktukjp at 23:57

NIC-インタビュー 堀田智子さん イギリス国立ヨーク大学_I

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堀田智子さん
York University
英国立ヨーク大学 経営学部
奈良県立平城高校出身 NIC第14期生


新しい場所で新しい出会いを重ねるたびに、
ひとまわり大きくなる自分を感じる。



待ち合わせは、キャンパスのほぼ中心にあるしゃれたデザインのインフォメーションセンター前で待ち合わせ。取材スタッフに気付くと「こんにちはー!」と大きく手を振りながら、走り寄ってくる。約束時間の11時30分ぴったり。
「いま午前の授業を終わったところなんです、お待たせしました!」と元気よく挨拶する彼女は、一人じゃなかった。新学期そうそうに授業で知り合ったという4人の同級生が一緒。

ひと目で中国系と察しがつく男性シャン、同じく中国系の長い黒髪のウエン、ブロンドのイタリア女性フランミニア、英国とアフリカ、インドの血を引くという彫りの深い造作の男性シャーム。総学生数の1割が海外からの留学生というヨーク大学の横顔を改めて垣間見る思いだ。

■ ■ ■ ■
「いま専攻しているのはマネージメント6割、ランゲージ3割、IT1割の比重かな。ファンデーションコース時代にビジネス学を取ってその面白さに目覚めちゃいました。世の中の経済現象って本当に理論通りに動いているんだなぁって。クラスで習ったセオリー通りのことが目の前で起こってる。いままで見逃していたことに気付く、見えなかったモノが見えるようになる。それってすごい面白いですよねえ。それにビジネスって世界のどこへ行ってもかならず共通であるものだし。もしかなうものなら、日本の景気回復に私が一役かえたらなあ!なんて、言いすぎかなっ」と笑顔をこぼし小さく舌を出す。

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「最初は日本の大学への進学を目指してました。でも高3の夏に大学受験対策セミナーに通ってる時に、すっごい違和感覚えて、なんかちがうなあ、コレはって。わたしの目指してる勉強の方向はこっちじゃないって。で、海外はどうなの?って思ったんです。そんなときにNICの存在を雑誌で知ったんです。エッ、そんなやり方もあるんだ海外留学の方法にはって。ビックリしました。そうか、私のやりたいことに手を貸してくれるのはここだって、そのときひらめいて。もう一直線。入学したい!でも学力は、私の場合、問題外でした。それでも何とかNICに入れたのは、NICは英語のテストよりあなた自身をみます、っていうポリシーのおかげ。でも、入ってからも全然授業についていけず、カウンセリングスタッフの皆さんのお世話になりっぱなし。ほとんど毎日のように。でもそのおかげで、なんとか勉強の仕方のコツを覚えて、TOEFLも420点から500点を超えられるようになって、いまは600点以上だと思います」

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NICのカウンセラーに最初に相談したのはどんなことですか、と尋ねると、「HOW TO STUDY! どういう風に勉強すればいいのっていう相談です。だってね、授業がいきなりぜんぶ英語でしょ。“英会話”と“英語のディスカッション”の間には想像以上に深い隔たりがありました。もう授業を聞いてるだけで精一杯。それに、宿題を出されても、その問題がわからない。パニックですよね!相談してなんとか自分にあった勉強の方法を見つけ出した時はうれしかったです。それから、勉強の質問や相談以外にも、もうちょっとしたことでもなんでも相談にのってもらいました。夜遅くても。母が病気になったときも、本当に親身になって相談にのってくれて、本当にカウンセリングスタッフには感謝してます。いまでもNICに相談メール送ってるんですよ、イギリスから・・・(笑)」

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起伏に飛んだ緑の中のキャンパス、湖の渡り橋、湖岸からせり出したトレードマークの多目的ホール・・・。
「豊かな自然の美しさに惹かれたのも私がヨーク大を選んだ理由の一つ。ねっ、きれいでしょ、この大学!」と彼女が両手を大きく広げた瞬間、野鳥の群れが彼方の湖面から一斉に飛び立った

■ ■ ■ ■
「旅が大好き。いろんな人に会って、いろんな考え方をシェアしたい。そうすることで自分の視野が広がる。すべての出会いに意味がある。そう思いません?そういう意味では大学生活も旅のひとつっていえるかもしれないなあ」。そんな堀田さんの締めの言葉。
「旅も留学もいろいろな問題、予想外のトラブルはつきもの。それにめげることなく乗り越える。そのときいつも思うんです、あっ、コレって絶対に自分が成長するチャンス、そうなんだ、よしやるぞって」

(了)イギリス・ヨークにて。Nov.2004  
Posted by ktukjp at 23:01

November 29, 2004

NIC-インタビュー 増田絢子さん カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校

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増田絢子さん 
San Francisco State University BA in Child Development
カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校 人間科学部幼児教育学科
香川県立高松南高校出身 NIC第14期生





結果はすべて自分に返ってくる。
 〜もうちょっと頑張れば変われるはず。



◆将来は途上国の孤児院で働く

5人兄弟の上から2人目の増田さんは、根っから人の面倒をみるのが好き。
「高2の終わりの頃、施設に泊まりこみのボランティアを1週間ほどしたことがあるんです。そのとき思ったんです。将来こんな仕事がしたいって。」
でも色々調べてみると、日本の施設は充実している。増田さんはもっと周囲のサポートがないと生活が出来ない子供の手助けをしたいと思った。

「途上国で親のいない子供、戦争で親を失った子供、生活水準の低い環境で生活せざるを得ない子供…。そんな子供達は人生が制限されていると思うんですね。だから、何か手助けしたいんです。」

そのためには英語力と専門知識の両方が必要。
「海外進学を決めたのは高3の夏ぐらいですね。香川出身なんですけど、海外に進学する人なんて少ないので、先生はびっくりしてました。両親も最初は反対でした。だから私もかなり悩みましたよ。真剣に『何がしたいのか』を考えました。」
そして意志を固めた増田さんに周囲も理解をしてくれた。

◆学科消滅にもめげず…

「NICはそんなにたいへんじゃなかった」という増田さんは、希望どおり、SFSUのソーシャルワーク学科に進学。
「来る前までは『留学生だから特別扱いしてもらえる』と思ってたんですけど、まったくない…。全部自分でやらないと駄目。だから最初の頃は日々追われる感じでしたね。私はもともと計画を立てても、あまり実行できない性格なんです。いつも締め切りギリギリに終える感じで…。」
だから日本にいるときには気づかなかった自分の『なまける部分』に気がついたという。

「海外の大学まで来たからには、やっぱり勉強しないとダメ。でも周りのアメリカ人学生は余裕がある。私も流されそうになるときがあります。とくにプライベートに時間をあまり割けないときとか…。だから週末までにやらなければいけないことを週の頭に必ずチェックしたりして、自分をしっかり管理するようになりました。」
少しずつ勉強以外の面でも壁を乗り越えながらやってきた増田さんだが、どうしようもない問題にも直面した。

「カリフォルニア州全体で予算カットが行われているんですけど、そのとばっちりを受けて、ソーシャルワーク学科が消滅するんです。かなり有名な学科なのに、学生数が減っていることもあって…。他の大学に行くかどうかで迷いましたけど、調べてみると幼児教育学科でも私の学びたいことは学べると思ったので残ることにしました。」

◆平凡な人生は望んでいない

ソーシャルワークも幼児教育も「人との関わり合い」という点では共通するという。
「どちらも基本は、理解してあげること。幼児教育は心理学に近いんですけど、やることがそのまま子供の人生に関わってくる。子供に何が必要なのかを考えるけど、必要以上の助けは逆効果。間違った情報を与えてもダメ。子供のほうが感情面で素直な分、センシティブな面はありますよね。」

そして増田さんは学外で老人介護のボランティアもしている。
「日系人の介護施設で、80歳から90歳ぐらいのお年寄りの世話をするんです。『もう人生残り少ないんだから、どうでもいいんだ』っていうお年寄りの話を聞いて、物事をもっとポジティブに考えられるように返事をしていく…。一人一人過ごしてきた人生が違うから、同じ対応はできないけれど、話を聞くだけで喜んでくれる。たまにどう対応していいのか分からないときもあるけど、ベテランのボランティアの人から『出来ないことはあるんだから無理はしちゃダメ』と言われます。」

◆みんなもうちょっと頑張れば変わるのに

最近、高校時代の友人と話をする機会が多いという増田さん。彼らの話はもどかしくてしょうがないという。

「何をやりたいのかわからないという人が多いんです。日本は人に合わす社会。高校時代、私が『海外に進学する』というと『本当に? なんで?』と真に受けなかったけれど、いま『私もすればよかった…』って言う。私は昔から思っていました。自分が出来なかったこと、出来るのにやらなかったことを他人がやってるのを見たら後悔するだろうって。」

高校時代はバイトも出来るし自由だから、何も考えずに過ごしてしまいがちという増田さん。
「みんな、もうちょっと頑張れば変わるのにって思う。『とりあえず』で行動している人が多い。先を見通すことがすごく大事だと思う。海外に来て全てのことがプラスになるとは限らないけれど、周りを見ていると、みんな前向きに生きている。結局は、すべて自分が決めること。結果も全て自分に返ってくる。私は今、やりたいことが出来て、生活も充実している。だからこそ、みんなあと一歩を踏み出してほしいと思うんです。」

とにかく「平凡な人生はイヤ」という増田さん。
だからこそ学科消滅という問題にも、慌てることなく冷静に自分のやりたいことを見つめなおし、対応できたのかもしれない。

(了)サンフランシスコにて。Nov.2004
  
Posted by ktukjp at 23:05

November 28, 2004

NIC-インタビュー 足立悠佑さん カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校

足立悠佑blog用1


足立悠佑さん 
San Francisco State University
カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校 ラジオ・テレビジョン学部
広島県立広島井口高校出身 NIC第14期生


きびしかったNICでの1年間
 〜大切なステップを踏むことで乗り越える人生の壁




◆日本人会会長として

「来年、映画祭を企画してるんです。日本人留学生はもちろん、日本語の映画を作っているネイティブの学生からも作品を募ります。みんな作品を作るからには発表する機会が欲しいだろうし、日本文化の紹介にもなると思うので、いいと思いませんか?」

どっしりした風貌で快活にそう語る足立さんはSFSUで映像製作を学ぶ傍ら、日本人会の会長も務め、多忙な日々を送っている。

「日本人会のメンバーは250人ぐらいです。他大学と一緒にバーベキューをしたり、学内のフードフェアで日本食を売ったり、いろんな活動をしてますよ。でも何か物足りないというか…。もっとしっかりした形にしたいんです。映画祭の企画もその一環ですね。」

北野武、宮崎駿、渡辺謙、…。海外の映画祭で日本人の活躍が目立ち始めてきている今、ぜひ実現してほしい。

「そういえば最近、ものすごく苦労してようやく大学から予算がもらえたんです。100ドル。」
「100万円?」
「いえ、100ドル…」
「…」

映画祭実現に向けて、茨の道が待っていそうだ…。
でも足立さんは自信を持っている。
その裏には、NIC時代に1年間過ごした東京での苦い経験があった。

◆必要だった渡米前の東京での挫折

「こっちに来てから何が一番たいへんだった?」そんな質問に、足立さんは即座にこう答えた。「一番苦しい思いをしたのはNIC時代ですよ。あの頃に比べたら、どうってことないです。」「勉強が?」「いえ、なんと言うか…、僕は広島出身なんですけど、東京に出てきて突然世界が広がって、自分が何をしていいのかわからなくなったんです。寮の部屋の中にいるのが安心で、一人で塞ぎこんでいた日々がありました。ちょうど2学期の頃でしたけど、本当に『人間、ここまで落ちれるんだ』というぐらいでしたね。」

実際、カウンセリングでは「このままだと修了も渡米もできない」と言われたという。でもなんとか立ち直り、3学期には「これ以上ないくらい」がんばって、無事に渡米までこぎつけた。

「NICにはお世話になったというか、迷惑をかけたというか…(笑)。でもあの経験があるから、いまはどんなに苦しいことがあってもがんばれるんです。あと、東京で過ごすことで視野が広がったという面も大きいですね。」

地方出身者にとって、渡米前に1年間を東京で過ごすことの意味は想像以上に大きい。地方の価値観だけでアメリカを感じるのと、東京も知った上で感じるのとでは、わけが違うからだ。そのステップのあるなしで、渡米後に得るものにも雲泥の差が出るといっても過言ではない。
「あんまりこのことを言う人はいないけど、みんな多かれ少なかれ感じていると思いますよ。」

◆シネマ・フォトグラファーになって残したい風景

こっちに来てからは順調という足立さんは今、シネマ・フォトグラファーを目指している。映像制作の現場を取り仕切る役割も持つカメラマンのことだ。

「岩井俊二監督の映画をよく観るんですが、その撮影を担当している篠田昇さんの映像が好きなんです。2次元を極限まで3次元に見せるところとか、奇をてらってるけどギリギリの線で止めているところとか…。僕もそんな技術をマスターして、いろんな『風景』を残したいですね。記憶はシェアできないけど、映像はシェアできますからね。あと、岩井監督がうまい『空気の作り方』もマスターしたいです。『あー、俺もこんな経験ある』と思わせるマジックとか、当たり前のものを映しているのに何かを伝えるテクニックとか…。」

足立さんはまた、日本に関わる映像を撮っていきたいという。日本の外で学ぶことで、初めて見えてくる日本のカタチ。アメリカで学んでいるのも、別にアメリカ映画が好きなわけではなく、最先端の技術が学べるからに過ぎない。
「こっちに来てから、いろんな考えがあることもわかりましたね。自分の『当然』が当然じゃないことも。将来の映像作りにすごく役立つと思います。」

◆勉強は相変わらず嫌いだけど…

「去年の夏、日本に帰って高校の先生に会いに行ったんです。びっくりしてましたね。『日本の大学に行ってたら、こうはならなかっただろうな』と感慨深げでした。」

でも、実は足立さんにとって勉強はいまだに苦痛以外の何物でもない。
「とにかく机に向かうのが好きじゃないんです。ほんとに。でも映像の授業だけは面白い。だから頑張れる。もともと映像を学ぼうと思ったのは、高校時代にイギリス人の英語の先生と一緒に高校紹介ビデオを作ったのがきっかけなんです。すごく面白かったんです。それで、はまってしまって、今ここにいる。希望が叶っていて、本当に充実した毎日ですね。」

日本人会会長として、今ではベイエリア全体を巻き込んだ映画祭を企画するまでになった足立さん。それは東京で乗り越えた挫折と、アメリカの『とにかく、やってみよう!』という雰囲気に後押しされているように思える。今はまだ『100ドル』かもしれない。でも何事もステップを踏むことで、強くなり、大きくなっていく。地にしっかり足を着け、前を向いて歩いていれば、サンフランシスコの穏やかな風が必ずラックを運んできてくれるだろう。

(了)サンフランシスコにて。Nov.2004
  
Posted by ktukjp at 23:59

NIC-インタビュー 吉田緑さん カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校_I

吉田緑blog用2



吉田緑さん 
San Francisco State University
カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校 英語学部
青森県立八戸高校出身 NIC第14期生

日本人らしさって…
 〜「アメリカ人気質」と「日本人らしさ」の狭間で




◆人とは違うMBAへの思い

「来年春に卒業なんですけど、その後1年間は働いて、それからMBA(経営学修士号)に進もうと考えてるんです。いろんな人に話を聞くと、ビジネスを勉強するには社会人経験が少しでもあったほうがいいと言われるので…」いま、SFSUで英語学を専攻する吉田さんは、よどみのない口調でそう語る。
英語学を専攻しているのに、なぜビジネスなのか?

「もともとは先生に憧れていたんです。私はいつもいい先生に出会ってきたので…。NICでもそうです。授業はわかりやすいし、面白い。でもそれだけじゃなくて、しっかり身に付けるべきことが身に付く授業。私はそういう「教えること」を通して、人のためになりたいと昔から思っていました。でもある時期から、もっと直接的に人を助ける仕事をしたいと思うようになったんです。もっと言うと、人によって傷つけられたものを助ける仕事。でもそんな仕事をしている団体(NGOやNPO)はどこも経済的に成り立っていないのが実情ですよね。だから、その部分をビジネスの面からサポートするためにMBAに進もうと考えているんです」

◆考えたら実行に移す

そんな思いの変遷を表すように、吉田さんは渡米後、何度か専攻を変えている。最初は心理学、その後、医者・獣医への道を考えて生物学、いまは英語学、そして大学院からは経営学という風に…。

勉強面以外でも、考えるだけではなく行動にも移している。そのひとつが「うさぎのシェルター」でのボランティア活動。サンフランシスコ周辺では、捨てられたうさぎは捕まると7日間以内に殺されてしまう。だから引き取って育てるのだという。実際、吉田さんも一匹を引き取って飼っている。

「あと最近学校で募集広告を見つけたんですけど、自殺防止24時間ホットラインのボランティアもやろうと考えています。話も聞きに行ったのですが、人は気づかないうちに人を傷つけているんだということを改めて感じました。そんな傷ついた人を、たとえ電話越しであっても助けてあげたい。話を聞いてあげることで、その人が少しでも幸せになることが出来るのであれば…。聞いてあげることってたいへんだけど大事ですよね。」

◆自らの経験を生かす

「人を直接助けたい」ということがテーマだと言う吉田さん。
もちろんそれは今まで自分自身が多くの人に助けられてきたからこそ言えること。
そしてまた、人のことを考えることができるのは、自分自身がいろんな悩みを抱え、それを解決しようと前に進んでいるからに他ならない。

「留学して一番苦労したことは?」

最初、この質問に吉田さんはこう答えた。
「やっぱり英語力ですね。英語学専攻なので、ネイティブの学生と同じ条件でシェイクスピアとか学びますよね。だから本を読んだとき、ネイティブと同じくらい深く理解し考えられるような、対等のレベルまで持っていきたいんです。」
英語力はほぼすべての留学生が悩むこと。でも吉田さんの場合、そのレベルが違う。ある意味、贅沢な悩みなのかもしれない。

だからしばらくして敢えてまた同じ質問をした。すると…。
「…やっぱり人間関係ですね…。つい先月、仲のよかった人に『日本人らしくない』と言われてしまったんです。以来、『日本人らしいというのは、どういうことなのか?』ということで頭が一杯になってしまって…。外見なのか、中身なのか、考え方なのか…。私は16歳のときに1年間の交換留学をしてから、アメリカの雰囲気が好きになって、だから大学もこっちを選んだんです。今はもう自分の意見をはっきり言うことが当たり前だと思うようになっています。グループを作るのも好きではないし、何かあると仲間内で色々言う感覚にもなじめない。やっぱり私は本当にもう日本人らしくないのかと考えたりもします…。でも理解してくれる友人は何人かいるし、それで十分なんだと思います。」

◆外に出て見えてくること

よく海外に出ると日本がよく見えるようになるという。それは、人間についても同じこと。
いつも自分のことばかりを考えていたのでは、何も見えてこない。人のことを考え、話を聞き、悩みを理解しようとすること。そうすることでまた自分自身のこともよく見えてくるようになる。
吉田さんが好きな「アメリカの雰囲気」とは、「自分の意見をはっきり言える」雰囲気。でもそれに染まることで、日本人から「日本人らしくない」と言われてしまう…。

サンフランシスコの海岸から車で数分。綺麗な一軒家が立ち並ぶ住宅街の一角にいま、吉田さんは住んでいる。ルームメイトは30代のアメリカ人女性弁護士。
インタビュー当日、その場所から望めたのは、たくさんのカラフルな住宅と、その上を覆う、どんよりした雲。

「この辺は曇ってても、ダウンタウンは晴れてることが多いんですけどねー」
陽気なイメージのあるカリフォルニアでのその風景は、吉田さんが直面する人間の内面を表していたのかもしれない。

(了)サンフランシスコにて。Nov.2004
  
Posted by ktukjp at 22:59

November 02, 2004

NICインタビュー 岩渕麗佳さん カリフォルニア州立大学フレズノ校

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異なる価値観を受け入れる
〜大学だけではなく海外で生活すること自体が「学び」だった。


岩渕麗佳さん
California State University Fresno BS in Marketing
カリフォルニア州立大学フレズノ校 経営学部マーケティング学科卒
株式会社西友勤務 
仙台育英学園高校出身 NIC第10期生



◆ウォルマートと提携した西友での希望通りの仕事

アメリカで生活すると必ずお世話になるウォルマート。近年、その世界最大の小売チェーンと提携した「西友」本部はスーパー激戦区・赤羽にある。岩淵さんにとって、そこで入社半年後から担当になったバイヤーという仕事はまさに学生時代から望んでいたものだ。

「宮城の気仙沼出身なんですけど、父親が水産物の流通の仕事をしていたこともあって、私も将来は…という気持ちがありました。でも水産物だけにこだわるのではなく、日本のいいものを海外に、また海外のいいものを日本に流通させたいということが基本にあります。」
ハキハキとそう語る岩渕さんだが、実は「西友」という会社は就職活動の前にはまったく知らなかったという。

「大学ではマーケティングを学んで、就職先には流通の会社を志望していたんです。色んな商品を扱ってみたかったので…。それでちょうどアメリカではよく行っていたウォルマートが西友と提携するというニュースを見て、『ここしかない!』と決めました。」他社もいくつか「練習」のために受けたものの、最終面接までは残るものの落ちまくった。

「理由は簡単で、その会社で本当に働きたいという気持ちがなかったのが相手に伝わったんだと思います。。。」勉強も仕事も『これがやりたいという情熱』が大事。では岩淵さんの海外進学への情熱はどうだったのか?

◆父の助言や教えが海外進学へと導いてくれた

“ひとつの国だけにとどまるな。世界を見て大きな野望を持て!”
「もともと英語が好きだったということはあるんですけど、自分だけの考えで海外へ!という感じではなかったんです。父親が進学に関する色んな情報を探してきてくれて、『英語が好きなら、英語を学ぶんじゃなくて、英語で何か専門分野を学んだほうがいいぞ』と言われて…。」
海外に進学する学生の多くは、自分で希望して、反対する親を説得する。その逆を行く岩渕さんのケースは稀だが、それはやはり海を相手に仕事をする父親の価値観からか?そしてそんな「価値観」が岩渕さんの海外で得たもののキーワードになっている。

「英語を学ぶだけなら日本でも出来ると思うんです。私は、大学で学んだというより、アメリカで生活することで学んだことが大きいですね。それは色んな人種・国籍の人と交流することで、世界には様々な価値観があるんだと実感したり、日本では当たり前のことも海外ではそうではないと知ったり…。日本の外に出て、客観的に物事を見ることが出来るようになったことが最大の成果ですね。」

そしてそんな異文化経験がマーケティングにも生かされる。
「商品企画をするにしても、机の前に座っていてもいいアイデアは浮かばないですよね。市場に行って情報収集したり、売り場に行ってリサーチしたり…。自分の価値観で物事を見るのではなく、お客様の価値観に沿った商品開発をしなくてはいけない。あと、海外で開発された商品を見るときも、自分とは違う文化・違う世界の人間が異なった価値観の元で開発してるんだということを常に意識することも大事。」
ウォルマートから来ている社員も、西友の生鮮食品を扱うノウハウを学ぼうとしている意欲を感じさせると言う。

「日本の持っている、優れたノウハウをウォルマートに伝え、ウォルマートの持っている優れたノウハウを私達が学び取る。そこからより良いサービスが生まれてくると思います。」

◆大学4年で決まった「進む道」

海外で得るべきものは、客観的なものの見方と幅広い視野だと力説する岩渕さん。そうすることで将来進むべき道もだんだんとはっきりしてくるという。
「もともと明確な目的を持って海外に進学するというのは理想的ではあるけど、現実的ではないような気がします。私も結局いまの道に進もうと決心したのは4年生になってから…。専門分野を学び、色んな価値観の人と交流することで、次第に将来の展望が開けてきたような感じですね。」
だからNICで1年間教育を受けてアメリカに行ったことも大きかった。
「海外に行くのは、早ければ早いに越したことはないとは思います。でも準備は必要。行ってからアメリカ式の授業とかエッセイの書き方とかに苦労することで得ることもあるだろうけど、でも行ってからそんなことに苦労していたら遅い。ほかにやることがたくさんあるから…。」

◆考えることが大事

いま、日本に参入した外資系大手チェーンストアのなかには撤退を余儀なくされつつあるケースも出てきている。海外で成功したやり方をそのまま日本に持ってきても通用しないこともあるからだ。
「先日、イギリスに遊びに行ってきたんですけど、スーパーに寄ってみると氷の上に水産物が無造作に置いてあるだけ。鮮度や味に敏感な日本人には受け入れがたい…。現地の人にとってはそれはそういうものだからいいという感じかもしれないけど、三枚卸とかお造りとか、日本式の商品開発をもっと世界に伝えていきたいですね。」
「私はアメリカで学んだけど、別に大学はどこの国でもいい。どの大学に行くかとか、卒業することが目的ではなくて、いろいろな国に足を運び、日本だけでは知ることのできない、感じることのできない物や人と出会うことが必要。そういう意味では、多種多様な価値観の人がいるアメリカでは、色々考えさせられるきっかけが多くて良かったですね。」
グローバル展開をする企業にとって、異文化対応ほど厄介な仕事はない。そしてそんな仕事が成功の明暗を分ける。若いうちから異文化の中で揉まれ、様々な経験をつんできた日本人の活躍の場がそこにある。

(了) 東京にて。 Nov. 2004

株式会社西友
全国に400以上の店舗を展開する総合小売チェーン。米国ウォルマート傘下となり経営改革を推進中。住友商事とも協力関係にある。環境活動にも力を入れており、1997年、小売業として世界で初めて環境マネジメントの国際規格ISO14001をマルチサイト一括で取得。子供たちの環境教育やエネルギーマネジメントにおいても社会に貢献している。

  
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NIC-インタビュー 井上奈保子さん カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)

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井上奈保子さん
University of California-Los Angeles(UCLA)
カリフォルニア大学ロサンゼルス校 言語学部
福岡雙葉高校出身 NIC第14期生

「学ぶこと」は面白い
 〜大事なのはステップを踏むこと。




◆憧れだったUCLA

福岡の高校生だったとき、ある留学雑誌に載っていたUCLA留学生のインタビュー記事を読んで憧れたという井上さん。
いま、自分もそこにいる。

「今学期から編入してきたばかりですけど、憧れだった場所にいま自分がいることができて、信じられないくらい嬉しいです。でも入るのが目的じゃないから、満足しちゃいけないですけどね。」

だから忙しい授業に加えて、大学の無料英会話プログラムにも参加している。
「ロースクールの学生とか、専門知識はあるけどフォーマルな英語をマスターしたい学生が通っているプログラムです。幅広い年齢層の人がいて、面白いですよ。」
そんな井上さんは教師になることを目指しており、専攻するのは言語学。言葉の仕組みを専門的に学ぶ学問だ。

「UCLAという学校自体に憧れてたんですけど、ラッキーなことにここの言語学は全米でもトップクラスなんです。」
サンタモニカ・カレッジにいたときは言語学のクラスはなかったので、専門クラスは編入してきてから取り始めたという。
「でも、ここに辿り着くまでのステップがものすごく重要だったと思います。」

◆重要だったステップ

井上さんはNICサンタモニカ・カレッジに進学。2年間学んだ後、UCLAに編入してきた。

「それぞれの場所で、いつも私は一杯一杯でした。色々なことがあったけど、それを乗り越えて来たので強くなった。そのうえで今ここにいるということが大事だと思いました。」

渡米当初は「英語をマスターするにはオープン・マインドになれ」と言われたが、そんなに簡単にはいかなかった。

「内気な性格はそんな簡単に変わるものではない。2年たってようやく慣れた感じです。」

トップスクールに編入するには、短大でほとんどオールAを取る必要がある。そのため出来るだけ易しいクラスを取る学生もいるが、井上さんはそうではなかったという。
「私はとにかく興味のあるクラスを取ったんです。せっかく高いお金を払ってるんだから…。でも大変でしたよ。動物学のクラスを取ったときなんて、ミミズとかネズミを解剖して、先生のところに見せに行かなきゃならなかったりして…。」
サンタモニカ・カレッジはUCLAのすぐ近くにあるので、UCLAの教授が教えに来ていることも多い。
「しかも世界中から学生が来ているので、色んな友人も出来ましたね。」

◆精神的に強くなったNIC時代

夏休みに日本に帰ってNICを訪問した井上さんは、カウンセラーから「前よりもずっと強くなったね」と言われた。

「一度すごく悩んでいたときにカウンセリングに行ったことがあったんです。そのときのことをカウンセラーの方は覚えていてくれました。NICでは、オールAを目標にしていて、ここで上手くやれないとアメリカに行ってもダメというプレッシャーがあったんだと思います。でも1年間でかなり精神的に強くなりましたよ。」
また福岡出身の井上さんは、東京生活を経験できたことも大きいという。

「ここでもステップを踏んだことが重要なんです。東京を知った上でアメリカに来ることには、メリットが多いですね。視野も広がりますし。」
UCLAに来てからも少し視点が変わる。

「将来の選択肢が広がったというか…。日本に帰って教師をやるだけではなくて、色んなオプションが見えてきました。翻訳の資格も取ろうかと考えてますし…。」 とは言うものの、最終的に目指すのは教師だ。

◆目指すは「面白い授業」ができる教師

高校時代を振り返ってみると、英語の授業に楽しさが感じられなかったという。
「言葉はもっと面白く教えられるんです。面白い授業をすれば、みんな自然に覚えていく。私が今取っている言語学のクラスも、暗記型ではなく、学生の質問で授業が進んでいきます。言葉の仕組みにはすべて理由がある。文法だってむかしはつまらないと思っていたけど、出来上がってきた理由を学んでみると、すごく面白い。授業が工夫されているから、どんどん引き込まれていく感じですね。」

教師の教育に対する取り組み姿勢も学んでいる。
「教師というのは神ではないけど大人のシンボルであったり、お手本であったりしますよね。その教師が生き生きしていないと、生徒も生き生きしない。教える教科に教師が熱中していないと、生徒もつまらないと感じる…。日本には生き生きしていない教師が多いと思います。」

「生き生きとして面白い授業が出来る」教師を目指す井上さんは、これから英会話教師のボランティアも始めるという。
「とにかく今はやれるだけのことをやりたい。時間も限られているし。」

そして、教育の果たすべき役割をこう考えている。
「NIC時代の友達のインタビュー集を読むと、みんな『こういう道に進みたい』と言っていたところにちゃんと行ってるのがすごいと思う。嬉しくなるし、自分も頑張ろうという気になります。自分の進みたい道に進ませるためのサポートをするのが教育ですよね。」

人が人に説得力を持って伝えることが出来るのは、自らが経験して体得したことのみ。井上さんは、自らが目指す教育を今、自らが体験している。

(了) LAにて。Nov.2004
  
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November 01, 2004

NIC-インタビュー 小尾知美さん カリフォルニア州立ビュートカレッジ

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経験は学問に勝る
 〜実のある回り道を経て、念願のキャビン・アテンダントに。


小尾知美さん
Butte College AA in Travel & Tourism
カリフォルニア州立ビュート・カレッジ 観光学科卒
株式会社大韓航空 キャビン・アテンダント
長野県立諏訪清陵高校出身 NIC第10期生





◆好きな仕事

いつまで続くのかわからないヨン様ブーム。便乗ビジネスは多いが、そうするまでもなく大いに恩恵を受けている会社がある。韓国のナショナル・フラッグ・キャリアとして日本13都市と韓国を結んでいる大韓航空だ。
「やっぱり日本からの乗客の方の数は増えてますよ。イメージアップにもなっていいですね。でも同僚の韓国人クルーはみんな不思議がってます。なんであんなに人気があるんだって…。」

笑いながらそう話す小尾さんはキャビン・アテンダント(CA)になって3年目。
高校の頃から希望していた仕事が出来て、充実した毎日を過ごしている。
「成田からのロス便とソウル便を同じ割合で乗務しています。結構休みは多いですけど、この仕事は思っていた以上に大変です。とくにロス便は時差が17時間もあるうえ1泊3日のハードスケジュール。理想と現実は違うことはわかっていたんですけどね…。」
とは言いつつも、好きな仕事だから、できるだけ続けたいという。

「私は色んな回り道をして、ようやくCAになれた。だから大変でも、この仕事を大切にしていきたいです。」

◆楽しかった学生生活

もともと叔母さんが国際線のCAをしていたこともあり、小さい頃からこの仕事に憧れていたという。
「中学の頃から英語も好きで、将来は私も…という感じでした。でも高3の夏、アメリカから交換留学生が来たとき、英語力の不足を実感して…。それで海外進学を決意したんです。」

NICを見つけて両親に相談、最初はやはり反対された。
「どうしても治安が悪いイメージがありますからね。私が日本から離れるのも不安だったみたいです。でも父が東京出張のときにNICを訪問し、スタッフの方から詳しく話を聞いてOKしてくれました。『2年で帰ってきなさい』という条件付きで。」
都内の親戚宅から通ったNICでは、特にリーディングとライティングの力が伸びた。

「もともと速く読んで理解するのが苦手だったんですけど、エッセイを書く課題が多かったので、両方の力が自然に身につきましたね。最後のフェアウェル・パーティーのときは、1年間やり通した達成感があって、すごく感動した記憶が残っています。」
そして無事にカリフォルニア州のビュート・カレッジに進学。観光学を専攻する。「地元と同じぐらい田舎で、過ごしやすかったですよ。1年目は寮、2年目はアパートをアメリカ人のルームメイトと4人でシェアして住んでいました。」
大学では教授がみんな観光業界で働いている人たちだったため、ほとんどの専門科目が夜間に行われた。

「色んな国の観光情報をリサーチして、クラスで発表したり…。あとユナイテッド航空で実際に使われている航空コンピューター・システムも学ぶことも出来ましたよ。」

◆回り道したけれど

2年で無事に卒業した小尾さんは、1年間ロサンゼルスの旅行代理店で働いた。
「もちろん仕送りはなくなったし、最初から一年間で辞めて帰国するつもりでした。」
ロスではNIC時代の友人がいたため、ダウンタウンのアパートをシェア。
「自分の顧客もでき、大学で学んだことも実社会で生かすことができ、やりがいはありました。でも、日本でCAを募集しているのを見つけて、ヴィザが切れる前に帰国しました。航空会社をいくつか受けて1社は最終面接までいったんですけどダメでしたね。」
航空会社に応募し続けながら、地元のホテルでも働いた。
「フロントに配属されたんですけど、小さいホテルだったので、人手が足りないとレストランとかハウスキーピングの仕事もしましたよ。」
そして働きが認められて準社員にもなった頃、大韓航空から採用の知らせを受けた。
「同期入社の中では最後に内定が出て、採用一週間後にはもうソウルでトレーニングを受けていました。急な話だったのに快く送り出してくれたホテルの方には感謝しています。」

◆経験を生かす

旅行代理店、ホテルと、回り道はしたものの、いまその経験が凄く役に立っている。
「ビジネスクラス担当なんですけど、ホテルのレストランでコース料理を出していた経験もあるし、ワインの知識もついてたりして。この仕事は狭い空間で、時間という制約もあるなかで、最大のサービスを提供しなければダメ。だからバイトでも何でも、サービス業に携わった経験というのは大事なんです。臨機応変に対応するためにも。」
同僚に留学経験者は多いものの、大学へ進学して卒業した人は少ない。
「海外の大学を選んで良かったのは、国籍を問わず友人が出来たこと。あと3年間海外で生活して、自立心が養えたし、視野も広がったと思います。親元を離れたことで家族のありがたさも実感し、人と人とのつながりを大切にしようという気持ちも芽生えましたね。日本の大学に行ったら、英語しか学べなかったかも…。」
経験は学問に勝るという。最初から希望の仕事につくことは一見ベストに思えるかもしれない。でも回り道をすると、そこでしか得られない経験がある。それは海外進学も同じ。CAになるのに海外進学は必ずしも必要ない。でも、そこには何かがある。それを小尾さんの笑顔が物語っていた。

(了) 東京にて。Nov.2004


株式会社大韓航空
SKYTEAMアライアンスの創立メンバーであり、韓国のナショナルフラッグキャリア。1969年に韓進グループの趙重勲現会長が国営であったKorean Air Lines(KAL)を引き継いでから、2004年で創立35周年を迎えた。今日では117機を保有し、世界31ヶ国80都市を結ぶ、世界トップクラスの航空会社に成長した。
  
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October 24, 2004

NIC-インタビュー 鎌田幸江さん ネバダ州立サザンネバダカレッジ

鎌田幸江blog用1

鎌田幸江さん
College of Southern Nevada
ネバダ州立サザンネバダカレッジ(CCSN)観光学科卒
千葉県立松戸国際高校出身 NIC第12期生
新東京旅客サービス株式会社勤務(全日本空輸株式会社(ANA)のグランドスタッフ)


「小さな努力の積み重ねが大きな実となり返ってくる。
夢を叶えたい、その思いを忘れずに頑張って。」


今から数年前、サンフランシスコ空港で不安そうに辺りを見回す一人の日本人高校生がいた。短期留学からの帰国中、乗り換えのために降り立った空港で日本便への搭乗がいつまでたっても始まらないのだ。英語のアナウンスはよく聞き取れず、不安と戸惑いで途方にくれていたとき、聞き覚えのある言葉が聞こえてきた。“ノースウェスト航空00便成田行きをお待ちの皆さま・・・・”
「日本語だ!助かったー・・・。えー、でもここで日本人が働いてるんだ!」

そのときサンフランシスコ空港にポツンと座っていた高校生はいま、成田空港でグランド・スタッフとしてバリバリ働いている。
「あのとき空港で見た日本人スタッフの方が輝いて見えたんです。世界中の人々が行き交う国際空港で働いている日本人女性・・・。憧れましたね。私も絶対グランド・スタッフになろうとそのとき決めました。いま、夢が叶って毎日が充実しています!」

・・・・・・・・・・・

●役立つ異文化経験

鎌田さんが勤務するのはANAグループの新東京旅客サービス株式会社。ANAのみならず 外資系航空会社十数社から成田空港での旅客ハンドリング業務を受託している会社である。2003年12月に入社し、ちょうど8ヶ月目の鎌田さんの担当は台湾のエバー航空だ。
「毎日覚えることがたくさんあって息つく暇もないほどですけど、もっと努力して早く一人前になりたいです。8月からはエバー航空とともにウズベキスタン航空も担当することになります。航空会社によって仕事の仕方が違ってくるので大変ですけど、先輩の中には4〜5社を担当してる方もいるんですよ」

毎日、世界中の人々が様々な思いを胸に利用する国際空港。そんな一種独特の雰囲気をかもし出す舞台で、快適な旅をサポートするグランド・スタッフの役割は大きい。
「接するお客様の半分以上が外国の方です。外国の方にはただ英語で対応するだけではなくて、異文化を理解して接することが大事だと思うんです。そこで私の留学経験はすごく役立っていると思います。いろんな国からの留学生もたくさんいたし、自分自身が異文化の中で様々な経験が出来ましたから」

●順風満帆にはいかなかった海外進学への道

鎌田さんが留学したのはネバダ州ラスベガスにあるサザンネバダ・カレッジ。専攻は観光学だった。もともと高校では国際教養科に通い、交換留学も経験していた鎌田さんにとって海外進学への壁はそんなに高くなかったのではないかと思いきや、そこまでの道のりはそんなに平坦なものではなかったという。
「もともとコンピューターに興味があったので日本の大学で情報システムについて学ぼうと考えていたんです。でもサンフランシスコ空港でのハプニングがきっかけでグランド・スタッフという仕事の大切さがわかったんですね。それにコンピューターを仕事にするんじゃなくて、仕事でコンピューターを使えばいいという発想の転換をしてみると、空港での仕事はコンピューター無しでは始まらない・・・。もう夢はグランド・スタッフになること一本に絞りました」

そして同時にバイリンガルになる必要性も感じ、海外進学を考え始めたという。むかしスチュワーデスに憧れていた母親は「まあ、いいんじゃない」という感じだったが、ご多分に漏れず父親は大反対。ただ、英語が不十分な状態での学部留学に反対しているようだったので、1年間、大学レベルの英語力を身に付けて渡米するというNICの仕組みを話して説得。無事にNIC入学が決まった。

「高校のときから接客が好きでNICに入学する少し前からディズニーランドでアルバイトしてたんですが、NICに入ってからは土日のみフルタイムでアルバイトしました。このときの経験も今の仕事に生かせていると思います」

忙しくアルバイトしながらも勉強にもしっかりと取り組み、1年間で所定の成績もクリアし無事修了。しかし、家庭の事情で1年間渡米を延期して日本でアルバイトをすることになる。しかしグランド・スタッフになるという明確な夢を持っていた鎌田さんは、しっかりと成田空港でのアルバイトを見つけた。
「センダーという仕事なんですが、お客様が旅行代理店で航空券の引換券をもらって空港までいらしたとき、カウンターで航空券をお渡しする仕事です。旅行代理店と航空会社の間のシステムの勉強になりましたね」

●授業もインターンも満喫

そして1年後、NICの一期後輩たちとともに渡米。ネバダ州立大学リノ校で3ヶ月間のサマー・ブリッジ・プログラムに参加する。「このときが一番つらかったですね。1年間のブランクはあったし、テストの成績がクラスのビリでしたし・・・。毎晩泣いてばかりでした。」
でも何とか乗り切って、ラスベガスのサザンネバダ・カレッジに入学。その直後に起こったのがあの事件だった・・・。
「ちょうどラスベガスに引っ越してきて、授業が始まってから2週間ぐらいのときでしたね。朝起きてメールをチェックすると『大丈夫?』というメールがびっしり。何だろうと思ってテレビがなかったので、日本の家族に電話して同時多発テロのことを知りました。その後、クラスに行ったら教授が『これから航空業界はたいへんだ』と・・・。いきなり卒業後の不安が頭をよぎりました」

でも先のことを心配していてもしょうがない。とにかく目の前のことをしっかりやっていこうと気持ちを切り替えた。「ラスベガスは観光ビジネスに関する最新の話題が豊富ですから、いるだけで勉強になるんです。教授もみんな業界とのコネクションを持っていて、トレンドを先取りした授業をしてくれるし。インターンの機会もたくさんあって、私はネバダ州のホテル・観光業界のコンベンションで働きました」

さらに夏休みには日本のホテルでもインターンをしたという。
「グランド・スタッフの募集というのは基本的に通年で行われているのですが、やはり春から夏にかけての募集が多いんですね。それで、春に向けてゆっくりと就職活動の準備をしたかったので、秋学期で単位を全て修得しようと思って、計算してみたら最終学期に22単位も取らないとだめなことがわかったんです。さすがに厳しいので教授に相談に行って、夏休みに日本のホテルでアルバイトしてくるからインターンの単位として認めてくれるよう頼んだんです。そしたらOKしてくれました」
そして東京ディズニーランド近くの有名ホテルでアルバイトをしたが、単位として認めてもらうためにはマネジャーにレポートを書いてもらう必要があった。
「困ったことに、そのマネジャーは英語が出来ない・・・。でも解決しました。ある日、勤務時間中にマネジャー室に呼ばれて言われたんです。『今から私が言うことを書き留めて、英訳してくれ。それを私がオフィシャルなレポートに書き写す!』(笑)」

●グランド・スタッフ採用試験へチャレンジ

無事に最終学期の単位を取り終え、3ヶ月間ほどアメリカ国内を旅行して2003年3月に帰国。最初は試しに外資系に応募してみたものの書類でアウト。でも、もともとANAグループのグランド・スタッフが第一志望であったため気落ちすることなく応募。何名が応募したのかは不明なものの、500人が一次面接に進み、採用されたのは数十人。鎌田さんの名前はそのなかに含まれていた。

「第一志望だったので、本当に嬉しかったです。なぜANAグループかというと、やっぱりお客様第一志向というのがはっきりと感じ取れるからです。これはディズニーで学んだことが私の中で土台になっていることにつながっていると思います。あとカウンターの雰囲気も明るいし、温かみも感じられるし、チャレンジ精神に溢れている点も魅力です。一緒に働いている同期や先輩の中には個性豊かな方が多く、楽しい職場です。留学の経験がある方も多いですよ。」

充実した日々を送りながら、彼女自身もチャレンジ精神を忘れない。
「大学時代、きついときもあったけどAll “A”が取れたセメスターもあって、最後は National Dean’s Listにもノミネートされて、本当にいい思い出になりました。頑張れば必ずその努力が報われるんです。いまも、まずは仕事を覚えて一段落ついたら、中国語を勉強しようと思ってるんです。最近なんと言うか、夢が叶ってしまった状態でふわふわしているんですが、どんどんこれから先もチャレンジしていかないと・・・」

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成田空港からは今年も様々な夢を抱いた多くの日本人が世界へと飛び立っていく。そんな様子をかつての自分とだぶらせながら仕事に励みつつ、自分の新たな夢も探し始めようとしている鎌田さん。そんなグランド・スタッフに見送られる人々の前には、必ず夢の実現が待ち構えていることだろう。

(了)成田にて。Nov.2004  
Posted by ktukjp at 17:26